商品企画部から総務部へ

軽症うつ病は、治療を続けて1年ほどで主治医から「寛解かんかい」(病気が完全に治った治癒ではないが、症状が消失している状態)を告げられた。ただ、その後も2、3カ月から数カ月おきに、軽い抑うつ症状が一定期間出ることがあり、症状のある時のみ通院して精神安定剤を処方される、という状態が5、6年続くことになる。

休職からの職場復帰後、総合職に転換してから最も長く在籍した商品企画部で1年働いた後、総務部に課長職のまま異動した。総務部所属となってから数カ月過ぎた2014年のインタビューでは、こう苦しい心境を明かした。

「無理をしているつもりはないんですが……仕事を頑張ろうとすると、集中できずに気分が沈んだり、体がだるく疲労感がひどくなったりということを繰り返してしまって……。結局、商品企画では以前のようなパフォーマンスを発揮できなくなったんです。会社員人生の終盤で何か、また新たな目標が見つけられればいいんですが……」

まだ笑顔が弾けていた頃の状態に戻ってはいないものの、少しずつながら確実に気持ちが上向いてきているようだった。

自分で道を切り開くしかない

後からわかったことだが、この取材時の14年頃から、村木さんは一般職時代に7年間在籍した経理部への異動希望を出していた。ようやく16年、53歳の時にその希望が叶うのだ。一般職の時の業務とは異なり、課長として決算手続きや財務諸表の作成などの業務を担当し、指揮した。18年に55歳で役職定年を迎えた後も経理部に在籍し、23年に定年退職を迎えた。

奥田祥子『等身大の定年後 お金・働き方・生きがい』(光文社新書)
奥田祥子『等身大の定年後 お金・働き方・生きがい』(光文社新書)

心身の不調を経てたどり着いた経理部での経験が、定年後の歩み方に大きな影響を与えたことは言うまでもない。そうして、冒頭の語りへと続く。現在、税理士試験合格を目指し、実務経験を積みながら勉強に励む日々を送っている。

「一般職から総合職に変わって課長にもなり、新たな景色を見ることができたことはとても良かった。会社員人生の終盤になってもともと一般職で経験を積んだ経理の職務に今度は管理職として戻り、それが税理士を志すという定年後の新たな目標に発展したのですから……。人生って、ホント予想していなかった展開になるものですね。うっ、ふふ……。ただ言えるのは、先輩女性が築いた道がないという問題は、自分自身で新たな道を切り開いていくことでしか乗り越えられない、ということですね。また情熱を注げることがあって、私はラッキーだと思っています」

17年前に出会った頃の明るさが戻って安堵あんどするとともに、今なお挑戦を続ける姿が頼もしく思えた。

奥田 祥子(おくだ・しょうこ)
近畿大学 教授

京都生まれ。1994年、米・ニューヨーク大学文理大学院修士課程修了後、新聞社入社。ジャーナリスト。博士(政策・メディア)。日本文藝家協会会員。専門はジェンダー論、労働・福祉政策、メディア論。新聞記者時代から独自に取材、調査研究を始め、2017年から現職。慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科博士課程単位取得退学。著書に『捨てられる男たち』(SB新書)、『社会的うつ うつ病休職者はなぜ増加しているのか』(晃洋書房)、『「女性活躍」に翻弄される人びと』(光文社新書)、『男が心配』(PHP新書)、『シン・男がつらいよ』(朝日新書)、『等身大の定年後 お金・働き方・生きがい』(光文社新書)などがある。