自分の生き方が「マイノリティー」に

気負うことなく、着実に実績を積み重ね、30代での大阪支社への転勤に続き、課長に就いてからも名古屋支社に3年間勤務した村木さんだったが、東京本社に戻った2011年頃から、いつもの明るさが日増しに減り、悩ましい表情を見せることが増えていった。

東京本社に戻って1年余りが過ぎた12年のインタビューでは、当時48歳の村木さんは慎重に言葉を選びながら、女性社員の働き方を含めたライフスタイルの変化を受容し、さらに推進しようとする会社の姿勢に対する戸惑いを明かした。取材者として、村木さんの苦悩がよほど気になったのだろう。当時の取材ノートには、彼女の語りと表情や身振りを克明に記録しながら、筆者自身の困惑の表現でもある「?」記号が多用されていた。

「これまで管理職ポストに就く総合職女性は独身か、既婚者であっても子どもはいないケースがほとんどだったので、私のような独身の課長は社内では多数派で、『普通』だったんです。でも……課長に昇進して数年過ぎた頃から、子育てしながら働き、課長ポストに就く総合職女性が増え始めたんです。そして、今では、女性登用では子どものいる女性社員が優遇されているように思えてなりません。それで、そのー、自分の生き方がマイノリティーになりつつあるのがつらく……独身で生きていくことに不安も感じるようになって……仕事への自信もなくなり、塞ぎ込むことが多くなってしまいまして……」

彼女には似合わない、か細く消え入るような声で話すと、取材場所の喫茶室のテーブルに両肘をついてこめかみを押さえた。

メンタル不調で1カ月休職

村木さんが心療内科のメンタルクリニックで「軽症うつ病」の診断を受けて、会社を約1カ月休職するのは、この取材の3カ月後だった。現在は、企業は従業員のメンタルヘルス対策に力を入れ、「心の病」で欠勤、休職することは珍しくなくなっている。だが、当時は今ほど職場の理解は進んではいなかった。

職場復帰して2カ月近く経った頃の取材では、やるせない胸の内を打ち明けた。

「入社以来、のろくてもいいから、歩みを止めずに進まなくては、と自分に言い聞かせてきた25年間でしたが……こんなにももろく、つまずいてしまうとは……思ってもみませんでした。もう、昇進する可能性は極めて低いと思います……」

うなだれる村木さんにかける言葉が見つからない。取材者として、不甲斐なく感じたのを思い出す。