環境へ配慮するのは、倫理観でも痩せ我慢でもない
ここで留意しなければならないのは、このような共感は「倫理」や「道徳」や「義務」といった規範によって醸成されているわけではない、という点です。
英国の哲学者、ケイト・ソパーは、近年、特に一定の世代以下で顕著に見られる、環境や社会へ配慮したライフスタイルや消費スタイルは「自己利益を抑制すること」……つまり一種の「痩せ我慢」によって駆動されているのではなく、むしろ「環境や社会への配慮が自己利益として内部化されること」によって駆動されている、と指摘しています。
彼女は、端的にこの現象を「Alternative Hedonism=新しい快楽主義」という概念として整理しています。自分たちの欲求や快楽を抑制することによって新しい消費のスタイルが生まれているのではなく、より環境に適した消費生活を送りたい、他者の問題を解決したいという新しい欲求や快楽の登場によって、新しい消費のスタイルが生まれている、ということです。まさに「資本主義のハック」が起きている、というのがソパーの理解です。
環境危機の解決策は「歓びに満ちた節制」
これは非常に重要な指摘だと思います。というのも、もし、このような社会的な流れが、抑制によって生まれているのであれば、この流れはやがて必ず元に戻るからです。抑制というのはサステナブルではありません。規律によって抑え込まれている欲望や欲求の質が本質的に変化していないのであれば、いずれは必ず大きな揺り戻しとなって戻ってきて、それは従前よりもさらに悪い結果を引き起こすことになります。
いま、世界で進行しているのは、20世紀以前の世界において肯定されていた欲望や欲求を抑制するということではなく、それを超克的にアップデートするという趨勢なのです。
オーストリア出身の社会思想家、イヴァン・イリイチは「環境危機の唯一の解決策」として「環境破壊的でない生活の仕方をとおして、自分たちは今よりも幸せになるのだという洞察を人びとがわけもつことである」と述べています。イリイチは、このような社会を「自立共生的=コンヴィヴィアルな生き方」とした上で、それを「歓びに充ちた節制と解放する禁欲(=joyful sobriety and liberating austerity)」という言葉で表現しています。
面白い表現ですね。「節制」は通常、「苦しみに充ちた」ものになりがちですが、ここでイリイチは「歓びに充ちた節制」と言っています。この節制は、何らかの歓びを抑圧することではなく、節制そのものが歓びになるような質のものだと言っているわけです。