部下の本音を引き出すにはどうすればよいか。人材研究所社長の曽和利光さんは「他人に『気持ちがわかるよ』と言うのは傲慢だ。共感しようと努力し傾聴することが大切。さらに人の本音とは、その人が『何をやるか』の中に隠れているもの。日々部下をきちんと見ていれば、あえて聞かずとも『本音』は推測できるはずだ」という――。

※本稿は、曽和利光『部下を育てる上司が絶対に使わない残念な言葉30 なぜこの言い方がNGなのか』(WAVE出版)の一部を再編集したものです。

NGワード01「君の気持ちはよくわかるよ」

職場でもプライベートでも、誰かから何かを相談されたとき、あるいは誰かが苦しんでいるのを見かけたとき、私たちは善意からつい「君の気持ちはよくわかるよ」と言ってしまうものです。仕事上のマネジメント研修などでは、まずは相手の話をよく聞くことが大切だとされます(これは「傾聴けいちょう」と呼ばれ、人間関係における重要なキーワードであることは本書でも何度か触れることになります)。そしてこの「傾聴」のあと、話を聞いた側はついこの「わかるよ」という言葉を発してしまうものです。

しかし、そもそも人は、他人の気持ちなどわかるものでしょうか?

やや哲学的な話にもなりますが、生まれも育ちも、今いる状況も違う他人の心を、理解することができるものでしょうか?

あえて強い言葉でいえば、私は「他人の気持ちがわかる」と思い込んでいることは、その人の「傲慢」であると考えています。ややもすると、人は、他人どころか自分の気持ちさえもわからないものです。にもかかわらず他人に対して安易に「わかるよ」などという底の浅い共感の言葉を吐くべきではありません。

「NO」と書かれた手のひらをこちらに突き出す女性
写真=iStock.com/JamesBrey
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「全然わかっていないくせに」と思われてしまう

人がつい「わかるよ」と言ってしまう気持ち、つまり「共感」は、もともとはカウンセリングの分野で重んじられてきた言葉です。カウンセリングの祖カール・ロジャーズという臨床心理学者が「共感的理解」という言葉を用いたのが広まり、職場においても部下に対するマネジャーのコミュニケーションの中で重要なものとされるようになりました。

しかし、会社はカウンセリングの場ではありません。「上司と部下」は、「熟達した技術を持つカウンセラーと悩めるクライアント」という関係でもありません。そもそも会社は、学校とは違い、年齢差の大きい集団です。上司と部下の双方にとって、互いにすぐには理解できないこと、共感できないことが多くて当然なものです。

「だからこそ、積極的に共感しようぜ」と、上司たちは気をつかい、がんばります。が、その努力にもかかわらず、実際には世代も違い、立場もまるで異なる部下には、「全然わかってないくせに」と思われてしまうことが多いのが現実です。

では、上司は悩んでいる部下に対して、いったいどう接すればよいのでしょうか?