安易な共感は実は「ウソ」になってしまう
まず申し上げたいのは、「ウソはダメだ」ということです。30代や40代、ましてや親より上の50代といった年かさの上司が、本当の意味で20代の若者のことを理解し、共感することはできません。「君の気持ちはよくわかる」は、実はウソであることになります。上司としては自分の若かった頃の経験などと照らし合わせ、つい「わかる」と言ってしまいますが、必ず世代間ギャップがあるので、部下には「ウソだ」とさえ聞こえます。
そもそも、世代のギャップなどがなかったとしても、人はそんなに簡単に共感や理解などできません。それなのに、「わかっている」と言われると、言われた側は言った側の意図とは逆に、不快にさえ思うこともあります。「立場の違うあなたがなぜ私のことをわかるのか」「もし本当にわかるなら、何であれやこれをしてくれないんだ」「その上あれやこれやをさせるのか」と、いろいろな思いがこみ上げてきます。もちろん部下の側も、「この人は自分との距離を縮めたいと思ってこう言ってくれているのだな」「ありがたいな」と思うこともあるでしょうが、実際には逆効果になることも多いのです。世代も立場も違う遠くにいる人がいきなり共感だなんて、違和感を持たれても仕方がありません。
それならばいっそ、上司は部下に対して、わからないことは正直に「わからない」と告げ、さらに部下の言うことをより深く「傾聴」するべきなのです。
大事なのは相手の気持ちを想像すること
この「上司は部下に共感すべし」という言葉の元ネタともいえる「共感的理解」も、提唱者のロジャーズは「相手の私的な世界をあたかも自分自身のものであるかのように感じ取り、しかもこの『あたかも~のように』という性質を失わないこと」と定義しています。特に重要なのは、後半の「あたかも」を忘れるな、という部分です。実際には理解などできてないということを忘れるな、あなたが「わかった」と思ったことは「あたかも」という思い込みである可能性が高い、ということでしょう。さらに噛み砕くと、重んじるべき「共感的理解」とは、「価値観や育った環境が異なる相手について、相手の考え方や状況を『相手の心の基準で』理解しようとする態度」だと言うこともできます。
この「共感的理解」の原語も、“sympathy”(≒同情)ではなく“empathy”(≒感情移入と訳されることが多い)であり、相手の気持ちをさもわかったように、自分も同じ気持ちだと勝手に同一化して振る舞うことを指してはいません。これらは似て非なるものです。大事なのは相手の気持ちを理解しようと、相手の立場をイメージしてその気持ちを想像すること(≒感情移入)です。