共感しようと努力することが評価される

ですから、20代の若者にひと回りもふた回りも世代の違う上司が「わかるよ」と軽々しく言うべきではありません。悪意がないことは相手にも伝わるでしょうが、それでも「わかったフリをしている」と不愉快にさせてしまうことすらあります。若者がよく使う「ムカつく」という言葉が近いでしょう。

こういった場合、上司が部下に伝えるべきは「わかるよ」という安易な同意、浅い共感ではなく、「わかろうと努力をして一生懸命想像をした結果、君はこのような気持ちではないかと思ったのだけれども、どうだろうか」ということです。

もしそのような形で告げたのであれば、それがいくら的外れなものであったとしても、部下には「本気で自分のことを理解しようと努力してくれている」と伝わります。それに対して不快に思われる可能性は少ないはずです。そして上司の想像する「君の気持ち」が間違っているのならば、「本当の僕の気持ちはこうなんです」と、胸襟きょうきんを開いてくれるかもしれません。

大切なのは「わかるよ」という意味のない相づちではなく、「わかろうとする気持ちを持ち、努力して理解しようとする姿勢」なのです。

【コーナーまとめ】
・部下に安易に「わかるよ」などと言ってはいけない。
・上司には部下のことが「わからない」のが当たり前。まず部下の言うことをより深く「傾聴」するべき。
・部下に「この人は、本気で自分のことを理解しようと努力してくれている」と思われることが大事。
部下と面接する管理職の男性
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NGワード02「お互い本音で話し合おう」

皆さんをはじめとする昭和生まれの上司たちの多くは、高度成長期の残り香の中、「チームは互いに共感し一体感を持って仕事をするものだ」という無意識の前提を持っています。彼らが現場にいたその時代では、向かうべき方向性や役割分担が明確に見えており、互いに助け合いながら自分の持ち場をしっかりと守っていれば、最終的にそれぞれが作りだした部品がピタリとはまり、1つの大きな成果を得ることができました。この場合には「共感し合い、一体感を持って仕事をすること」にも一定の正しさがありました。

ところが今は向かうべき方向性が不確かな時代。役割分担も多様化し、複雑になっています。一体感を持ってみんなが1つの間違ったゴールに向かえば、全滅してしまうリスクすらあります。もはや一体感は必要ではないどころか、大きな弱点ともなり得ます。