「賠償」を「補償」と言い換える東電

11年9月、東電は約7万世帯に「損害賠償請求書」を配布した。請求書は賠償の対象が指針に基づくものに限られているうえ、原子力事故の「賠償」であるにもかかわらず、「補償」という用語で統一されている。法律の世界では、「賠償」は違法な行為、「補償」は適法な行為で生じた損害を填補するものとされ、明確な違いがある。東電が今回の事故をどう捉えているか、よくわかる。

国は「原子力損害賠償紛争解決センター」を開設した。だが「センターの手引き」には、中間指針を基準に紛争解決を図る、とある。指針に基づく東電の基準に納得できないからこそ、第三者に調整を求めるのではないか。センターまで指針でしか動かないなら、裁判の負担に耐えられない弱者は、救済から漏れ落ちてしまう。

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「指針」に沿った賠償で納得が得られるか?

指針を策定する審査会のあり方も疑問だ。見直される気配だが、当初避難指示による「精神的損害」は12年8月分までは10万~12万円で9月分からは5万円に減らすとされていた。指針に「避難生活の不便さは最初の6カ月間に比べ、その後は縮減すると考えられる」と盛り込まれたからだ。(※雑誌掲載当時)

審査会の第7回議事録には、怪我で自由に動けない場合と違い、避難者は行動が一応自由だから交通事故の自賠責より少ない額になるとの発言さえある。血の通った議論ではない。

損害賠償では原告が立証責任を負う。10年後、20年後に晩発性の障害が出たとき、その原因を原発事故に求めるには、さまざまな証拠が必要だ。日記、領収書、賃貸契約書……。被害の実態はまだわかっていない。縁起でもない話だが、今のうちから備えが必要であろう。

※すべて雑誌掲載当時

(構成=阿久根佐和子)
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