45歳を過ぎると出産率はがくんと落ちる
早婚が普通だった大正時代で、30代後半に結婚する女性とはどのような人だったのでしょうか。たとえば、大店の旦那が愛妾を後妻にもらうケースなどは、完全な初婚でしょう。一方地方では、子どもができない夫婦を離縁させて組み換え再婚を行うというケースなどがあります。いずれの場合も、それ以前に子どもはないために、結婚後の出産が初産となる可能性が高いと考えられます。
ただ、この時期の統計資料を振り返っても、さすがに45歳を過ぎると出産率はがぐんと落ちています。40代後半では、閉経を迎える人が多いために、そこで、がくんと出生率は落ちる。そこが現在・過去問わず本当の意味の生物的限界なのでしょう(出産・育児を経験した女性の多くは、妊娠から授乳中は生理が止まるので、その分、閉経年齢が後ろ倒しになり、50歳でも出産することがまま見られます。多産型社会のアフリカでは、こうして50代まで出産を続ける女性が見られます)。
たった12年で40代は急に産まなくなった
それでも疑り深い人は、「もう90年も前の話で、その頃と今では食生活も体格も違うから」と反論するかもしれません。しかし、本当に年月の変化で女性の体質が変わり、それに伴い、40代の出生率は落ちていったのでしょうか? いいえ、それは違います。
40代の合計出生率は75年前の1948年まで0.3を超えていました。それが、1960年までのたった12年で、今よりも低いほどに、急激に落ち込みました。
このたった12年の間に、身体・生物的に40代の出生率が激減したと主張するのは無理があるでしょう。なぜなら、1960年に40~45歳の女性とは、1948年の時点でもう28~33歳だったのです。それは、当の昔に成長期を通り越し、心身ともに成人として形成された時期です。にもかかわらず、彼女らの出生率は急降下した。そこには、身体・生物的な変化よりも、社会的・思想的変化があったと思うのが正しいでしょう。要するに「40代では産まない・産めない」という気持ちの変化が、大きかったのではないでしょうか。
とどのつまり、「40代は産まない」という常識も、1960~80年代に作られた、いわば「昭和の常識」でしかないのでしょう。少子化の背景には、働き方、結婚観、そして出生観、全てにおいて昭和時代にできた常識が水を差している現状に気づき、これら社会的バイアスを取り除くことが重要といえそうです。