胎内にいるときから自然知能は働き始める

自然知能は生まれながらにして持っている能力である。中でも大切な知能は、生まれる前、母親の胎内にいるときから働きはじめる。

もっともめざましいのは耳で、生まれる何カ月前から、聴こえる、つまり働いているらしく、母親の見ているテレビの音に反応すると言われる。人間にとって、聴覚がいかに大切であるか、ということを、自然が教えていることになる。

日本の昔の人は、この生まれる前の自然知能を信じていたらしい。胎内に子供を宿している母親は、行ないをつつしみ、いやなモノを見ないように、汚いことをなくするため、トイレの拭き掃除をすることをすすめられ、胎教として、多くの共鳴者を持っていた。胎児への早教育というわけである。実証的な医学が広まって、胎教は迷信のように考えられて消滅した。案外、新しい教育の考えだったのかもしれない。

自然知能のほとんどは、可能性の状態で子供は生まれてくる。しかるべき、早いうちに、これを引き出すことが期待されているのであろうが、ノンキな人間の親はそんなことにはお構いなく、授乳していればいいと考えてきた。長い間そうしてきたのだから、それが誤っているのではないかと、疑ってみる人もなかったのである。

母親の指を握る赤ちゃん
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生後4カ月以降の教育は失敗の可能性大

まわりの大人が放置しておくから、生まれながらの知能のタマゴは、賞味期間をやりすごしてしまい、生来の知能となるべきものが消失してしまう。それをまぬがれたら、天才である。

可能性の知能を具体化するのは、生後4カ月くらい。それを過ぎてからの教育はおおよそ失敗するのである。

昔の人がよく、“三つ児の魂”ということを口にしたが、これは自然知能が実現するのが、3歳から4歳であることを述べたものとすれば、おもしろい。

大昔から、人間の親は、子供の自然知能に対する関心が低かった。ほとんどすべての子が、大人の理解がなくて、自然知能の育成に失敗した被害を受けているのである。

もし、その可能性をしっかりした能力にすることができれば、“天才”があらわれることになる。