信長が利家の髭を引っ張ったのは寵愛していたから?
この『利家公御代之覚書』は、利家の小姓だった村井長明が、利家から直接聞いた話を思い起こして書いたもので、加賀藩の重要史料のひとつとして大切にされている。写本も多い。二次史料とはいえ、成立と記主が明らかで、写本ごとに文章の違いがある点に注意しながら扱われている。
同書に見える逸話の多くは利家自身の口から語られたもので、信頼度は高い。だがこの逸話を、あけすけな男色話に読むのは適切なのだろうか。原本を確認するのは難しいが、翻刻された写本の原文は次のように書いてある。
若武者が主君の寝所にいても夜伽のためとは限らない
まず「利家様、若き時は、信長公傍に寝臥なされ」とあり、確かにここで信長が若き日の利家の側で眠ることもあったことを記している。少年利家は、信長の寝姿を間近で見ていた。ここから信長と利家に性的な関係があったと深読みする人がいるのだが、若武者が主君の寝所にいるのは不自然ではない。
戦国大名は、領主から集めた子息や親類を小姓として使っていたが、彼らは召し使いであり、旗本の構成員でもあった。利家も「赤母衣衆」として信長に直属する武辺者だったことで有名だ。信長は若い時から敵が多く、誘拐・暗殺・拉致には警戒しなければならなかった。
こうした背景を合わせてみると、若き日の利家は親衛隊の一人として、「宿直」の番を勤めていただけに思える。
続けて「御秘蔵にて候と、御戯言」とある。信長が利家に「(あの頃のお前は)わが御秘蔵の者であったな」と冗談めかして告げたので、ここから二人は男色の仲であったとする声がある。
ここで「御秘蔵」の言葉の意味を考えてみよう。「寝所で眠る大名の側に小姓がいた」という事実に「御秘蔵」の表現が重なると、調和的に結びつけたくなる誘惑は抑えがたいかもしれない。だが、ここでは別の可能性を考えてみよう。