信長が男色好みだったという俗説は見直されるべき

ここから先の記述は、弘治2年(1556)から勃発した信長の家督争いの話になり、10代の利家が武功を立て、信長が称賛する展開になっている。

つまりこの文章は文脈としては、利家の忠勇ぶりを紹介するものであって、二人の関係をニヤニヤ眺めて楽しむものではない。

信長は「お前は元服してからの武功が目覚ましいが、表立って活躍する前から俺の身辺警備を勤めた特別な家臣なのだ」と利家を持ち上げたのであって、「利家、若い頃はいつも俺と一緒に寝たものよな。うふふふ」と髭を引っ張ったのではない。

二人の関係に男色があった形跡は、ほかの史料にも見受けられない。史料の読み違えから生まれた信長と利家の間に男色関係があったという俗説は見直されるべきだろう。

乃至 政彦(ないし・まさひこ)
歴史家

香川県高松市出身。著書に『戦国武将と男色』(洋泉社)、『平将門と天慶の乱』『戦国の陣形』(講談社現代新書)、『天下分け目の関ヶ原の合戦はなかった』(河出書房新社)など。新刊に『謙信×信長 手取川合戦の真実』(PHP新書)、『戦国大変』(日本ビジネスプレス発行/ワニブックス発売)がある。がある。書籍監修や講演でも活動中。 公式サイト「天下静謐