「豊臣兄弟!」(NHK)では秀吉(池松壮亮)の上司的な立場になっている丹羽長秀(池田鉄洋)。系図研究者の菊地浩之さんは「大河ドラマとちがって、長秀はもともとの身分が低いためか、信長家臣団のナンバー2ではなかった」という――。
丹羽長秀の肖像画、安土桃山時代、東京大学史料編纂所・所蔵
丹羽長秀の肖像画、安土桃山時代、東京大学史料編纂所・所蔵(写真=PD-Japan/Wikimedia Commons

織田家臣団のナンバー2ではない

大河ドラマ「豊臣兄弟!」で池田鉄洋が演じ、いい味を出している丹羽長秀は、織田家臣団のナンバー2としばしば誤認される。

なぜかといえば、元亀4(1573)年頃に木下藤吉郎秀吉が“柴”田勝家、丹“羽”長秀にあやかって「羽柴」筑前守ちくぜんのかみ秀吉と名乗ったからだ。この逸話で、柴田勝家と丹羽長秀が織田家臣団の双璧を成す実力者だという誤解が生まれた。

たしかに、柴田勝家は天正3(1575)年に越前ほぼ一国を任され、いわゆる方面軍司令官として、織田軍の北陸支配を担った重臣である。しかし、丹羽長秀の方はというと、信長の在世中には方面軍司令官に任ぜられることなく、四国方面軍の副官、若狭一国を支配にとどまった。柴田勝家が北陸に置かれた後、石山本願寺攻めを任されたのは、佐久間信盛である。秀吉が羽柴を名乗る頃、織田軍のナンバー2は佐久間信盛だったと見るべきだろう。

羽柴秀吉書状(花押)、赤線で勝った部分が「羽柴」の文字
羽柴秀吉書状(花押)、赤線で囲んだ部分が「羽柴」の文字。天正6年(1578)、九州国立博物館所蔵、出典=ColBase