月給は15万円スタート
『アニメージュ』1989年9月号には、宮﨑の手によるマンガ形式で描かれた「アニメーターを志す人へ スタジオジブリ新人アニメーター募集のおしらせ」が掲載された。
そこで発表された募集要項の主な内容は次の通り。
◇演出助手研修生 若干名
◇研修期間 1年間(教育研修3カ月、実地研修9カ月)
◇月給 15万円+交通ヒ1万円マデ
◇研修期間
1989年11月1日より第一期(経験者可)
1990年4月1日より第二期(新卒者のみ)
マンガの中では宮﨑の分身とおぼしきブタが次のように語っている。
「低コスト低品質のその場しのぎではアニメーションに未来はないのです しかももっと良い作品を観たいという需要は増えている‼」
「ひとつだけいえます キチンと作られた映画はたとえ当たらなくても時間をかけてお金をとりもどせる それが私たちの信念です」
「みんなが観たいと思うような作品 観たら本当におもしろい作品 それをつくるのが私たちの仕事なんです だからこそ 今の日本のアニメーションの現状に満足しない若い才能を求めるわけであります」
社員70人の会社としてスタート
この時の募集で、第一期、第二期を合わせて16人が採用された。『ホーホケキョ となりの山田くん』の作画監督、小西賢一や、『もののけ姫』『千と千尋の神隠し』の作画監督、安藤雅司は、それぞれ第一期、第二期の出身である。
『アニメージュ』1991年6月号の「短期集中連載No.2 スタジオジブリの挑戦――現場スタッフの現状は」には、研修を経て『おもひでぽろぽろ』に動画マンとして参加した、第二期のアニメーターの座談会が掲載されている。
そこでは「ベテランの人にくらべると生産量が低いですからね。(略)ベテランが月300枚描くなら、君らは月100枚は確実にこなせっていわれてました」「あるテレビシリーズの友人は1日動画を十数枚もあげるらしい。ぼくなんか1日10枚も行けばいい方ですからね。(略)ジブリで賃金体系が保証されていることは、すごくいい反面、もしかすると根本的に別のリスクがあるんじゃないかっていう気もします」など、新人の目から見たジブリについて語られている。
社員化にあたって、専従スタッフの増強も図られた。次回作として決定した『おもひでぽろぽろ』の準備が本格化する1989年10月1日付で、『アニメージュ』編集長だった鈴木は徳間書店を退社し、ジブリの専従となった。
こうして1989年11月、ジブリは社員70人の会社として、新たなスタートを切ったのである。