待っていたのは露骨な「排除」

関連会社異動の辞令が出たときはショックでした。人事部長は「営業を強化したいので、これまでの経験を生かしてください」と言うけれど、実際には「うちの会社にアナタの居場所はない」という最後通告です。

何も悪いことしたわけじゃないのに、悔しいというか、怒りというか。でも、その一方で、人事部長の言葉にすがる自分もいました。

この1年間は屈辱の連続でしたからね。以前は、メールをチェックするために早めに出社したけど、役職を外れると、メールのCCからも外されるんですよ。結構、ひどいでしょ。露骨ですよね。

社外の人に連絡する事案もない、会う約束もない。今日中にやらなきゃいけない仕事もないし、会議もありません。

なので、出向はリセットするチャンスだと、不思議とそう思えたんです。

河合さんのコラムに、50歳の最大の武器は暗黙知だって書いてあったので、それに背中を押されたんです。自分が長年培ってきた知見を新天地で最大限に生かそう。よっし、やってやろう! って、意気込みました。

「もう、心が折れそう…」

ところが異動してみると、現実はそんなに甘くなくて。営業強化って言われていたのに、実際は事業を縮小させるのが私の役目でした。不採算部門をなくして、人減らしをすることも期待されたんです。

でも、これ以上会社の言いなりになりたくなかった。なので、必死で争いました。どうにか結果を出して、事業縮小をとどまらせてやろうと思ったんです。

社内には、グループ会社から追いやられた社員や、役職定年で現場に舞い戻った人がかなりいたので、まずは、彼らのモチベーションを上げることから始めようと、責任ある仕事をまかせてみたりしました。彼らに危機感を持ってもらいたかったので、話をする機会も積極的につくりました。

自分ではあれこれ手を尽くしたつもりです。なのに、まったく手応えがない。50過ぎた人たちは、そう簡単には変わりません。想像以上に手強かった。私に敵意をむき出しにする人もいましたし、面談にすら応じてくれない人もいてね。

で、ふと思った。

あれ? ひょっとすると、私も彼らと同じなのか? って。自分ではあれこれやっているつもりでも、客観的に見ると、何もしていないと思われてるんじゃないかって。私がここにいること自体がお荷物なのか? って。

周りとか関係ないと思えば思うほど、気になってしまって。もう、心が折れそうです。

よみがえる「追い出し部屋」の記憶

やる気満々だった白木さんを苦しめている“まなざし”──。

それは、社会に根深く刷り込まれた「50歳過ぎたら用無し」と言わんばかりの空気感だ。