同居家族以外は認知症になかなか気づかない
「ときどき様子を見に来てくれる従姉妹たちは、叔父さんも叔母さんも年齢の割にはしっかりしてるじゃないって言うんですけど……。実態はかなり怪しいと言いますか。二人とも手が付けられないくらい興奮して、つかみ合いのけんかをはじめることもあって」
眉間に皺を寄せ、ちょっと大袈裟なくらい困った顔をすると、
「そうですか。それは大変ですね。認知症というのは、まずは同居する家族が気づくものでして。だからこそご家族は対応に苦慮し、人によっては追い詰められてしまうんですけどね」
何度も頷きながら、ドクターはパソコン上のカルテに老父母の症状を打ち込んでいく。
そして、「おとうさんが怒鳴り散らすって、よくおかあさんはおっしゃってますが、おかあさんのほうもですか?」と、確認してくる。
「はい。母のほうもかなり怪しくなってきてまして、何をそんなに? って首を傾げるほど食って掛かってくることがあって。日々の些細なことでも、それが積み重なるとボディブローのようにきいてきますので、たとえ根治はしなくても、症状を抑える薬があれば処方していただきたいと思いまして」
「そうですか。わかりました。では、漢方薬と抗認知症薬を処方しておきますので、しばらく様子を見て、それでも状況が変わらないようでしたらまた考えましょう」
「はい、よろしくお願いします」
然るべき薬を出してもらうことももちろん大事なのだが、実態をかかりつけ医に理解してもらうことこそが何より大事なのだと、この日私は痛感する。
認知症薬の効き目には個人差がある
ただ、これで一件落着といかないから高齢者介護はやっかいなのだ。あくまでもウチの老父母の場合なのだが、薬の効果のほどは不確かで。今現在もくだらない闘いは果てることなく続いているのである。
それでもまだ老父のほうは、「90過ぎると、何でもかんでも忘れちまうんだよ」と、自らの老いを認めてはいるのだが……。「私はしっかりしてるから一度聞いたこともやったことも絶対忘れない」と、老母は今も尚言い続けている。
だが実際は、忘れていることを忘れているだけ。
つい先日も、毎年誕生日やクリスマス、母の日など、折に触れて義姉が街でも評判のパティシエの店からケーキを買ってきてくれるというのに。毎回「おいしい、おいしい」と言いながら大きな口を開けてパクパク食べているというのに……。
「あそこのケーキおいしいらしいけど、まだ食べたことないんだよね。誰も、連れてってくれないし、買ってきてくれないから」
老母は自信満々にそう宣っていた。苦笑を浮かべている義姉の目の前で。
1958年千葉県生まれ。中央大学専門職大学院国際会計研究科修士課程修了。出版社勤務を経て2010年よりフリーライターに。2016年『アレー!行け、ニッポンの女たち』(講談社)でデビュー。ほかの著書に『それでも、僕は前に進むことにした』『彼女が私を惑わせる』(共に双葉社)、『寿命が尽きるか、金が尽きるか、それが問題だ』(WAVE出版)。