その特徴は“演じすぎない”こと
『高倉健 沈黙の演技』(プレジデント社)にはわたしが考え抜いた演技の特徴についてまとめてある。以下はそのなかの一部だ。
高倉健の演技の流儀でもっとも大きな特徴は“演じすぎない”ことだ。
アクションシーンであっても、若いころは別として、目を剥いたり、大声で怒鳴り続けたりすることはない。日常の会話シーンでも喜怒哀楽をあらわにしたりはしない。セリフは低い声でゆっくりと語る。
また、酒に酔った演技でも、酔っぱらいの真似をして、ろれつが回らないようなしゃべり方をすることはない。
『鉄道員(ぽっぽや)』(1999年)では炭鉱労働者に扮した志村けんが酒に酔って暴れるシーンがある。足取りもおぼつかない。酔っぱらいを酔っぱらいらしく演じる。
一方、高倉健も酒を飲んでいるけれど、酔っぱらった風情ではない。志村けんに比べると飲んだ量が少ないという設定なのだろう。駅長というキャラクターも考えた真面目な酔い方を演じている。
一般の駅員や公務員はべろべろになるまで酒を飲むことはない。そこまで考えて酒を飲んだ男を演じている。酒を飲んだからといってすぐに酔っぱらいの真似をするのは素人の役者だ。ただし、志村けんの場合はべろべろに酔っぱらう役を演じていたので、演技が下手だというわけではない。
酒を飲む演技だけでも引き出しが多い
『あ・うん』(1989年)では高倉健と三木のり平が屋台で酒を酌み交わすシーンがある。
ふたりとも相当、飲んでいると思われるが、そこでも高倉健は酔っぱらいの真似はしていない。しどろもどろにもならない。しかし、素面でもない。酒を飲んだ人間がはっきりしゃべろうとする様子を演じている。
高倉健は酒を飲んで酔っ払うという演技だけでも引き出しが多い。そして、引き出しが多いのはそれが演技だからだ。
べろべろに酔った男を真似ることはできる。しかし、一方で静かに酔う姿を演じることは簡単ではない。よほど、役のキャラクターを考えていなくてはできないことなのである。
酔っぱらいに限らず、怒ったり、笑ったりすることでも、彼がやっているのは物まねではなく、演技だ。役柄を考えたうえで自然体でその場の状況に合わせている。そして、自然な感情で演じる。
高倉健の演技は抑制されている。
観客はスクリーンに映る演技を見ながら、なお、高倉健の置かれた状況を想像している。理不尽な目に遭った高倉健が目を剥いて怒らないことに不満を持つ。だが、高倉健は観客が不満を感じるように演技している。抑制された演技でなければ観客はのめりこまないことをちゃんと知っている。