「話を“盛っている”史料」を見抜いて読み解く

平家物語』も同じです。琵琶を弾きながら聴衆の前で語るんですから、語る側のサービスが入りがちになってしまう。「100人対200人の合戦だとしょぼいから、1000人対2000人にしよう」とか。

【野村】話を盛ってしまうわけですね。

【本郷】だからこういう史料は、信頼性が低いと判断します。

【深井】その史料を書いた人の置かれた状況を把握して、バイアスのかかった部分を差し引いて見るということですね。

【本郷】その通りです。反対に貴族やお坊さんなど、いわゆるエリートが書いた日記や古文書(特定の相手に意思を伝える書類)は、信頼性が高いと考えます。

【深井】この姿勢こそ僕たちが、歴史学から学ぶべきポイントじゃないでしょうか。現代はネットをはじめ情報があふれていますから、発言者がどんな立場でどういう主義の人なのかを把握したうえで、どこを盛っているか、逆にどこを語っていないかを想像することが大切ですよね。

香川・高松市の冠纓(かんえい)神社で発見された、平安時代の天治元(1124)年に書写された万葉集の古写本「天治本」(香川・高松市)
香川・高松市の冠纓(かんえい)神社で発見された、平安時代の天治元(1124)年に書写された万葉集の古写本「天治本」(香川・高松市)

「織田信長は理知的な人間だった」は正しいのか

【深井】個人的な興味なんですけど、研究者である本郷先生から見て、日本の中世史で「本当はこうなのに、世間に勘違いされてるよな」と感じる部分はありますか?

【本郷】たとえば、応仁の乱で京都が丸焼けになったといわれていますが、あれは嘘だと思うんです。だって、京都にあれだけ仏像やお経が残っているんですから。応仁の乱は、11年もだらだらやっていた戦争です。戦いが激しい時期もあったでしょうけど、緩まる時期もあったはずです。たしかに建物は焼けましたが、戦いをするときにはお寺さんに事前に告知したと思うんですよね。だから僧侶が、仏像やお経を担いで逃げたという話もあります。

【深井】なるほど。

【本郷】一方で、織田信長が焼き討ちにした比叡山は、本当に何も残っていない。ああいうのを「丸焼け」というんですよ。信長の比叡山焼き討ちは、ある日突然行われたわけではなく、一応手順を踏んでいます。

信長は比叡山に初め、「浅井長政と朝倉義景の味方をせずに織田につけ」、と言いました。比叡山はそれを断ったから、「じゃあせめて中立を保て」と。それも断ってきたので「じゃあ、焼いてしまうぞ」と言ったら、比叡山は「やれるもんならやってみろ」と言ったわけ。それで本当に焼いたんです。

このやりとりから「信長はまっとうに手順を踏んでいるから、理知的な人間であった」という学者もいます。でも僕は、それはおかしいと思う。いくら手順を踏んでも本当に丸焼きにするなんて、普通の人間がやることじゃない。「あなたを殺しますよ」と言って本当に殺しちゃったら、犯罪者ですよ。