習いごとを頑張らせすぎる弊害とは

先ほど「空想する時間」を習慣にする効果についてお話ししました。スケジュールを詰め込むことなく、1日のなかで空想する時間をつくること。好奇心と主体性は、余白からこそ生まれるものということです。

この、「プログラムしすぎない余白のあるスケジュール」とは、1日単位ではもちろん、1週間単位でも言えること。

そう、最近は習いごとの低年齢化が進み、ピアノもサッカーも英語も塾も、「少しでも早く始めなきゃ」という強迫観念に駆られているママも少なくありません。また、本人が「やりたい!」と言えば、やらせてあげたいのが親心。実際、周囲を見渡しても、3歳の時点で、すでに4つも5つも習いごとをさせているご家庭も多いのではないでしょうか。

非認知能力育児の視点から多くの事例を見るうちに、「習いごとは2つまでならOK」というのが、今のところの私の結論です。それより多い場合は、見直しが必要かもしれません。

スケジュールを決められすぎたなかで育った子どもは、その必要がないために、主体性がはぐくまれにくくなります。親や周りが「時間の使い方」「何をするべきか」を先回りして考え、お膳立てしてくれるから、次は何をするのか、自分で考える必要がないですものね。

習いごとの「間違った選び方」

そもそも習いごとは義務教育とは違って「やらなくてもいいこと」ですが、子どもの習いごとを、どのように決めていますか?

親の願いはさまざまですが、習いごとは、子どもの好奇心を刺激して主体性をはぐくむためにあるものだと私は思います。こんなふうに、子どもの習いごとを選んでいませんか?

●成績アップに直結しそうなもの
●世間体が良いもの、周囲に「すごい」と称賛されそうなもの
●男の子らしいもの、女の子らしいもの
●みんながやっていること
●親にとって都合がよいもの(場所、時間など)
●親が「昔やりたかったこと」
●将来役立ちそうなこと

習いごとを選び取るのは子ども自身ですが、子どもは選択肢がなければ選べません。選択肢を広げることは、親にできるサポート。親の正解を押しつけるのでなく「お試し」として数多くの習いごとにチャレンジさせてあげると良いでしょう。

親都合の「探し方」を排して、子どもの世界が大きく広がるよう、異なるバックグラウンドを持つ人と触れる機会をつくり出すことも意識するといいでしょう。