子どもの好奇心と主体性はどうしたら身につくのでしょうか。“全米最優秀女子高生の母”であるライフコーチ・ボーク重子さんは「同時期にさせてもいい習い事は2つまで。子どもには余白を与えましょう」といいます――。

※本稿は、ボーク重子『しなさいと言わない子育て』(サンマーク出版)の一部を再編集したものです。

公園のベンチで悲しげな表情で膝を抱えて座っている少女
写真=iStock.com/Bobex-73
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自分の「好き」を見つけられる子どもに育てよう

しなさいと言わない子育て』は、「しなさい」と言わないことで、「しなさい」と言われなくても自分からやる子、できる子を育てることをテーマにして執筆しました。人から強制されず、自分の興味と意思で決めたことを、やりとげる。――人はそのとき、最も大きな満足と幸福を感じると言われています。

今回お伝えするのは、その、自分の「興味と意思」の部分。何に興味があって、何がしたいのか。それを、自分で見つけることができる子どもに育てるための方法です。

スティーブ・ジョブズは、スタンフォード大学の卒業式での伝説的なスピーチで、「好きなことが見つかっていないなら見つかるまで探せ」と言っています。そして「誰かの人生を生きるのではなく、好きなことを見つけて自分の人生を生きろ」とも。

大人だって、「自分の好きがわからない」という人は多いものです。子どもには自分の好きなことを見つけてほしい。そう思いますよね。そのためには、非認知能力のなかの「好奇心」と「主体性」をはぐくむことが重要です。

好奇心とは「面白そう」「これ何だろう」「やってみたい」と思う気持ちであり、主体性は「言われていないことを自らやる」こと。よく混同されますが、主体性と自発性とは別物です。主体的に取り組む、というのは自分でやりたいことに自ら取り組むこと。一方の自発的とは、言われたことを率先してやることです。

だから、好奇心と主体性とは、自分がこれをしよう、と興味を持ち、それを言われなくてもやりたいからやる、ということです。一言で言ったら「パッション」――私が好きな言葉です。「パッション」があるとき、やり抜く力や回復力、柔軟性、協働力など、ありとあらゆる非認知能力が最もはぐくまれます。パッションって自分の人生を生きるためには必須のものなのです。

「何しようかな?」こそ、好奇心が生まれる瞬間

そんな、子どものパッションをはぐくむために、親は何ができるだろう。その答えは、「子どもには余白を与えましょう」ということ。

手を替え品を替え、子どもの興味関心を外側から刺激しようとすること以上にすべきことは、子ども自身の内側から好奇心の芽が育つことをイメージすること。心と時間と体力の余裕こそ、好奇心や主体性をはぐくむために必須なのです。

それを考えると、連日、習いごとや塾に通うのではなく「なんだか暇だなぁ」「今日は何をしよう?」と感じるくらいが、子どもにとってはちょうどいいのです。心に余裕がある状態だからこそ、「指示されていないこと」を「主体的に」やりたくなるのです。興味のあることを探したくなるのです。

宿題もドリルもない小学校で提案されたたったひとつのこと

娘が通った私立の小学校は、3年生が終わるまで教科書も宿題もありませんでした。正直言って私はちょっと慌てていました。だって九九もドリルもないんですもの。そこで先生に「何か宿題を出してください」とお願いしたのです。

そこで先生が提案したのが「毎日30分の空想タイム」という宿題でした。

「空想なんて!」と思いますよね? 私も先生に言われたときは「空想ですって? それでいいの?」と思いましたから。半信半疑のまま、私は先生からの提案のとおり、毎日30分間の空想時間を日課にしたのです。

小学校6年生くらいまでこの習慣は続きましたが、空想時間に絵を描くこともあれば、浴衣などの小道具や音楽プレーヤーを持ち込んで踊ったり、お話をつくったり、何もせずボーッと過ごしていることもあったようです。

このときに私が学んだのは、「○○したい」「○○しよう」という主体性は、親主導で決めギッチリ詰め込まれた余裕のないスケジュールからは生まれにくいということ。「自分は何をしたいのか」「どこを目指すのか」「何のためにそれをするのか」を考えるには、そのための心の自由と時間の余裕が必要だということです。

「空想タイム」はそのひとつの方法というわけですが、その自由と、そこで生まれた余白の時間で、娘はいろいろなことをボーッと考えたり、想像したり、自分と向き合ったりしたようです。

楽譜を広げている少女が見つめているのはイメージした音楽
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空想がもたらす3つのいいこと

ボーッとあれこれ思考のおもむくままに、空想する30分間。この「空想タイム」には、3つの利点があります。

1つめは、空想をすると、自由な発想を身近なものにするということ。自分の頭のなかで、常識の枠を取り払って自由に考える時間は、「やりたいこと」「こうなりたい」など、制限をかけず、心をのびのびと解放することにつながります。想像力と好奇心が高まるのです。

2つめは、ゼロから1へと、子どもの行動が始まる「場」になる、ということ。空想しながら、「これって何だろう」「どうしてこうなるのだろう」「こんなふうにしたらどうだろう」「面白そう」「やってみたい」など興味を持ったとき、その場で行動へ移すことができます。

何か他のことに遮られずに、行動へ移すことができる時間となります。大人に言われてやるのではなく、自分が思ったことを、言われなくても行動に移す。好奇心と主体性をはぐくむ習慣になります。

3つめは、子どもをポジティブにするということ。強制されることなく、自由に空想をするとき、人はおのずと好きなこと、楽しいことを考えます。そんな時間は、心を楽観的でポジティブにしてくれます。ポジティブな心は、失敗を恐れずに行動しやすくしてくれます。またうまくいかないときも次につなげるための回復力ややり抜く力をはぐくんでくれます。

「空想する時間」は好奇心や想像力・主体性を育てる貴重な「ルーティン」。子どもにとって何より大切な「余白の時間」をきちんとつくってあげたいものです。

習いごとを頑張らせすぎる弊害とは

先ほど「空想する時間」を習慣にする効果についてお話ししました。スケジュールを詰め込むことなく、1日のなかで空想する時間をつくること。好奇心と主体性は、余白からこそ生まれるものということです。

この、「プログラムしすぎない余白のあるスケジュール」とは、1日単位ではもちろん、1週間単位でも言えること。

そう、最近は習いごとの低年齢化が進み、ピアノもサッカーも英語も塾も、「少しでも早く始めなきゃ」という強迫観念に駆られているママも少なくありません。また、本人が「やりたい!」と言えば、やらせてあげたいのが親心。実際、周囲を見渡しても、3歳の時点で、すでに4つも5つも習いごとをさせているご家庭も多いのではないでしょうか。

非認知能力育児の視点から多くの事例を見るうちに、「習いごとは2つまでならOK」というのが、今のところの私の結論です。それより多い場合は、見直しが必要かもしれません。

スケジュールを決められすぎたなかで育った子どもは、その必要がないために、主体性がはぐくまれにくくなります。親や周りが「時間の使い方」「何をするべきか」を先回りして考え、お膳立てしてくれるから、次は何をするのか、自分で考える必要がないですものね。

習いごとの「間違った選び方」

そもそも習いごとは義務教育とは違って「やらなくてもいいこと」ですが、子どもの習いごとを、どのように決めていますか?

親の願いはさまざまですが、習いごとは、子どもの好奇心を刺激して主体性をはぐくむためにあるものだと私は思います。こんなふうに、子どもの習いごとを選んでいませんか?

●成績アップに直結しそうなもの
●世間体が良いもの、周囲に「すごい」と称賛されそうなもの
●男の子らしいもの、女の子らしいもの
●みんながやっていること
●親にとって都合がよいもの(場所、時間など)
●親が「昔やりたかったこと」
●将来役立ちそうなこと

習いごとを選び取るのは子ども自身ですが、子どもは選択肢がなければ選べません。選択肢を広げることは、親にできるサポート。親の正解を押しつけるのでなく「お試し」として数多くの習いごとにチャレンジさせてあげると良いでしょう。

親都合の「探し方」を排して、子どもの世界が大きく広がるよう、異なるバックグラウンドを持つ人と触れる機会をつくり出すことも意識するといいでしょう。

「気長に」「何度も」「あきらめず」探す

「好きなこと」は人それぞれ異なります。そして、子どもの好きなことを探すのは、なおさら時間がかかるもの。意識的に探さなければ見つかりにくいものです。ですから、「これ!」と思える習いごとになかなか出合えなくても、あきらめないこと。いつか必ず見つかると信じて、気長に探しましょう。

わが家も、娘がバレエに落ち着くまでには、15を超えるお稽古ごとを試しました。ピアノ、器械体操、陶芸、水泳、スケート、テニス、ミュージカル、スキー、サッカー、バスケットボール……。選ぶのは確かに子ども本人ですが、機会を与え、気長に見守るのが親にできるサポートだと思います。

「これだ!」と思える習いごとは、子どもの取り組む姿に「フロー」または「笑顔」があるかどうかでわかります。

周りの音が聞こえないほど集中した「フロー状態」になれるものこそ、最高の学びにつながったり、生きる意欲をアップさせたり、非認知能力を伸ばしたりします。わが子が新しい習いごとにチャレンジしているときは「フロー状態に入っているかどうか」観察し、そんな機会を増やしてあげましょう。

また子どもの「笑顔」も好きのバロメーター。どんなときに自然と笑顔になっているかも観察しましょう。

習いごとは「小さく始める」「やめ方のルールを決めておく」

何事もやってみなくてはわかりません。ある習いごとを、「面白そう」と思って始めたものの、実際にやってみたら全然向いていなかったとか、熱中できなかった、ということはよくあることです。「絶対に、これで将来生計を立てるくらいになるぞ!」「用具を一式全部そろえる!」などと、始める前から大きな責任を背負わないことが大切。

つまり、「小さく」始めることが鉄則です。「1カ月」「3カ月」「半年」など、それぞれの習いごとにふさわしい期限を設けて、「ここまでは続ける」と小さな目標を立てながら取り組みます。

そして「もう少しやってみたいな」という最小単位を繰り返していく。その積み重ねで、気がつけば「面白そう」が「好き」に、「好き」が「大好き」になっていきます。このプロセスを経ると、その習いごとが自分にとって意味があるものと思えるようになります。

また、決めておくとよいのが、「やめ方」のルールです。たとえば、「やめたいと思ってもすぐにはやめない。あと2回頑張ってみる」「ここまでやったらやめる」など、子どもと一緒に決めた「やめ方のルール」を徹底します。

ボーク重子『しなさいと言わない子育て』(サンマーク出版)
ボーク重子『しなさいと言わない子育て』(サンマーク出版)

習いごとは、お金のかかるものです。私たちはお金と時間をかければかけるほど途中でやめられなくなります。「これだけ投資したのだからもったいない」という心理ですよね。やめずに続けることを「粘り強い」「途中で投げ出さない」と評価するのもありかもしれませんが、非認知能力をはぐくむ観点からすると、さほど意味があるとは言えません。

嫌いなこと、気が乗らないこと、自分にとって意味を見出せないこと、なんとなくみんながやっているから続けてきたことで、人生を切り開くことはできませんよね。

子どもの非認知能力が最も効果的に伸びるのは、「好き」なことに自らの意思で取り組むとき。だから、向いていないと思ったら、方向転換することをためらう必要はありません。でも、何でもかんでも「すぐやめる」のではなく、その判断基準を親子で共有していることが大切です。

わが家では、新しい習いごとを始めるとき「同時期にやる習いごとは2つまで」ということとあわせて、「次にやりたいことがもし出てきても、すぐには飛びつかない」ということもルールにしてきました。詰め込んでしまっては、結局こなすことに精一杯で楽しむことができませんものね。