ご近所さんを頼って子育て

中島さん自身も、働きながら3人の子どもを育て上げたワーキングマザー。女性が働くことすら珍しかった時代に、家庭と仕事をどう両立していたのだろうか。

自営業の夫は協力的だったが、仕事が忙しいのは2人とも同じ。そのため、子どもたちが小さい頃は「ご近所さん」を頼った。「近所の奥さんに面倒を見てもらっていました。その奥さんは、そのためにそれまでやっていた内職を辞めることになってしまったので、そのお詫びとベビーシッター代として、私のお給料を半分渡していました」と振り返る。

夫との約束は、「子どものお弁当だけはつくる」ということ。「『掃除ができてなくても死にゃあせんし』と、割と適当に、洗濯も掃除もゆるーくやっていました。でも、毎朝お弁当をつくるのはなかなか大変で……2回ほど大失敗したことがあります」

生野菜と白米だけの「寝坊弁当」

当時、中島さんは福井県にある自宅から石川県の北陸支店へ通勤しており、毎朝6時には家を出ていた。しかしある日、寝坊してしまう。お弁当をつくるために残された時間は10分だけ。切羽詰まって、義母がプランターで育てていたナス、キュウリ、トマト、ピーマンなどの野菜を取って適当に切り、生のままマヨネーズをかけて、ご飯と一緒に弁当箱に詰めて長男に渡した。

2013年、子どもや孫たちに囲まれる中島さん(前列左)。夫は中島さんが副会長だった2018年に亡くなった(写真=本人提供)
2013年、子どもや孫たちに囲まれる中島伸子さん(前列左)。夫は中島さんが副会長だった2018年に亡くなった(写真=本人提供)

その晩の食卓で、長男からは「昼食の時、かわいそうに思った友達がトンカツやハンバーグなどのおかずを分けてくれたから、結果的に今まででいちばん豪華な弁当になった」と聞かされた。そこまでは家族で笑い合っていたが、続いて息子から「友達に、『こんな弁当を渡すなんて、本当のお母さんじゃないんじゃないか』と真顔で言われた」と聞かされ、言葉を失った。

「申し訳なくてうつむいていたら、中学生だった長女が、『お兄ちゃん、そんな回りくどい言い方で文句を言わなくてもいいじゃない。お母さんも、寝坊したときは“今日は寝坊したから、これで自分でお昼ご飯を買って”って500円置いておけばいい。うちはみんな、働いているお母さんが好きなんだから』って。もう本当にありがたくて、さすがに涙が出ました」

運動会のお弁当でも大失敗があった。「お昼どきには持っていくね」と約束したのに、前日の疲れから寝入ってしまい、ハッと目覚めるともう午後半ば。他の子どもたちが家族とお弁当を広げる中、中島さんの子どもたちはお弁当がないまま昼食タイムを過ごしたのだった。

それでも、子どもたちが責めたりすねたりすることはなかったという。働いていれば、予想外に帰宅が遅くなったり、翌朝寝坊してしまったりすることもある。「でもね、普段から家族とたくさん話しておけば、失敗してもわかってくれますよ」と中島さん。働き続ける上では、家族とのこうした信頼関係も支えになったに違いない。