「遅れを取り戻すだけのことだ」
中島さんは23歳のときにアルバイトで井村屋に入り、以来40年以上にわたってグループを支え続けている大ベテランだ。総務・人事グループ長を務めていた時期には、同社で初めて女性活躍や人材育成に取り組み、就任時の2011年にはわずか1%ほどだった女性管理職比率は、現在では10倍以上の11.3%になった。「2023年度までに15%」という目標も達成に近づいている。
当時、中島さんはまず職分制度を撤廃。およそ2年かけて一般職と総合職の境をなくし、「全員総合職」を実現させた。評価制度も、上司や人事担当者だけでなく役員も評価に加わる「360度評価」に変更。同時に女性管理職研修やメンター制度もスタートさせた。
「私の役割は、社員の生活を守るために経営を継続していくこと。そのためには会社の強みを磨くことも重要ですが、やっぱり一番大事なのは人だと思うんです。女性活躍も含めて社員の育成には力を入れています」と語る。
同社にはもともと意欲の高い女性が多く、産休・育休後に復職する人も少なくなかったという。そうした意欲ある女性を大事にする会社にしなくては──。そんな思いから、中島さんは女性の育成に取り組んだ。
だが、女性管理職研修を始めたときは反発もあった。女性だけを対象にしたため、男性社員から「男性差別だ」という声が上がったのだ。困り果てて当時の上司だった浅田剛夫社長(現会長)に相談すると、実にシンプルな答えが返ってきた。
「『今までの取り組みが遅れていたから、その遅れを取り戻すだけや』と。おかげで迷いが吹っ切れました。その言葉が励みになって、取り組みを続けてこられたんだと思います」
ご近所さんを頼って子育て
中島さん自身も、働きながら3人の子どもを育て上げたワーキングマザー。女性が働くことすら珍しかった時代に、家庭と仕事をどう両立していたのだろうか。
自営業の夫は協力的だったが、仕事が忙しいのは2人とも同じ。そのため、子どもたちが小さい頃は「ご近所さん」を頼った。「近所の奥さんに面倒を見てもらっていました。その奥さんは、そのためにそれまでやっていた内職を辞めることになってしまったので、そのお詫びとベビーシッター代として、私のお給料を半分渡していました」と振り返る。
夫との約束は、「子どものお弁当だけはつくる」ということ。「『掃除ができてなくても死にゃあせんし』と、割と適当に、洗濯も掃除もゆるーくやっていました。でも、毎朝お弁当をつくるのはなかなか大変で……2回ほど大失敗したことがあります」
生野菜と白米だけの「寝坊弁当」
当時、中島さんは福井県にある自宅から石川県の北陸支店へ通勤しており、毎朝6時には家を出ていた。しかしある日、寝坊してしまう。お弁当をつくるために残された時間は10分だけ。切羽詰まって、義母がプランターで育てていたナス、キュウリ、トマト、ピーマンなどの野菜を取って適当に切り、生のままマヨネーズをかけて、ご飯と一緒に弁当箱に詰めて長男に渡した。
その晩の食卓で、長男からは「昼食の時、かわいそうに思った友達がトンカツやハンバーグなどのおかずを分けてくれたから、結果的に今まででいちばん豪華な弁当になった」と聞かされた。そこまでは家族で笑い合っていたが、続いて息子から「友達に、『こんな弁当を渡すなんて、本当のお母さんじゃないんじゃないか』と真顔で言われた」と聞かされ、言葉を失った。
「申し訳なくてうつむいていたら、中学生だった長女が、『お兄ちゃん、そんな回りくどい言い方で文句を言わなくてもいいじゃない。お母さんも、寝坊したときは“今日は寝坊したから、これで自分でお昼ご飯を買って”って500円置いておけばいい。うちはみんな、働いているお母さんが好きなんだから』って。もう本当にありがたくて、さすがに涙が出ました」
運動会のお弁当でも大失敗があった。「お昼どきには持っていくね」と約束したのに、前日の疲れから寝入ってしまい、ハッと目覚めるともう午後半ば。他の子どもたちが家族とお弁当を広げる中、中島さんの子どもたちはお弁当がないまま昼食タイムを過ごしたのだった。
それでも、子どもたちが責めたりすねたりすることはなかったという。働いていれば、予想外に帰宅が遅くなったり、翌朝寝坊してしまったりすることもある。「でもね、普段から家族とたくさん話しておけば、失敗してもわかってくれますよ」と中島さん。働き続ける上では、家族とのこうした信頼関係も支えになったに違いない。
真っ先に意見を聞かれ、鍛えられた
中島さんのキャリアを振り返ると、所長、支店長、執行役員、取締役、社長といずれも「女性初の」がついて回る。苦労も多かったが、家では家族に、職場では浅田会長に幾度となく救われた。
例えば取締役会では、男性ばかりの中で必ず真っ先に意見を聞かれた。他の人の意見を聞いた後では、自分が違う意見を持っていてもなかなか言い出しにくいもの。その場でたった一人の女性ならなおさらだ。それを見越してか、浅田会長は最初の発言者に毎回中島さんを指名した。
「会長自慢で申し訳ないですが、人を育てるのが本当にお上手なんです。会議では最初に指名されるから、前もって勉強していかなきゃいけない。そのおかげでだいぶ成長させてもらいました。だから私も今、会議で意見を聞くときは若手から順に指名しています。自分の意見を言うのは一番最後ですね」
人を育てるという点では、井村屋グループでは以前から通信教育の受講も推奨している。2015年ごろまでは高卒入社の社員が受講することが多かったが、職分制度を撤廃して「全員総合職」にしてからは女性や大卒入社の社員も利用するようになり、受講者数は約2倍に増えた。
現在では、キャリアコンサルタントやビジネス実務法務、管理栄養士といった資格を持つ人が多数。グループ社員は約900人だが、全体の取得資格数は1300件にものぼっている。この数字からは、社員一人ひとりが成長したいという意欲を持つ「学習する組織」になってきている様子が見てとれる。
7年前のツイッターきっかけに生まれた「すまん」
こうした風土は、イノベーションの創出にもつながっているようだ。近年、井村屋グループでは、具が入っていない皮だけの中華まん「すまん」や、非常食にもなるようかん「えいようかん」など、ユニークな商品が続々と誕生して人気を集めている。
例えば「すまん」は、2020年に井村屋ウェブショップで限定発売された商品。発売に至るまでには紆余曲折があったそうだが、いざ売り出してみるとSNSを中心に爆発的な人気を集め、わずか3カ月で完売となった。
実は、社内で「すまん」の開発話が持ち上がったのは7年前。きっかけは、若手社員がSNSで目にした消費者のツイートだった。商品営業企画部の花澤麿弓子さんは、「お客様の『中身のない中華まんが食べたい』というツイートを見て、それならつくろうとチームで動き出しました」と語る。
たまにその意見、貰います。「井村屋の肉まんのガワ! 中身は自由♪」って売れるかな? RT @nier_no7: @IMURAYA_DM (´-`).oO(中身の入っていない中華まん、むしろそれは中華まんではないものが大好物な人間も居るので、井村屋さん作ってくれないかなぁ…)
— 井村屋公式 (@IMURAYA_DM) August 1, 2014
だが、当時は販売経路や営業面でのハードルが高く、経営層の承認を得るまでには至らなかったという。その後、井村屋ウェブショップが成長し、新商品をネット限定で売り出すことが可能な状況になったところで、花澤さんの上司である浅田英伸さんが経営層に再アタック。ウェブショップでの限定販売を提案したところ、今度はすんなりOKが出た。
「7年前はダメでしたが、企画自体は面白いと思ってずっと暖め続けていたんです。その後発売できる環境が整い、世の流れから言っても『今ならお客様も面白がって受け入れてくれるだろう、SNSで話題になるだろう』と思ったんです。宣伝効果や利益なども併せて説明したところ、SNSに疎い役員も賛成してくれました」(浅田さん)
「ひらがながかわいい」若手の一言で命名
「すまん」というネーミングは、「素の饅頭」と「具が入っていなくてすまん」という2つの意味を込めて名づけられた。経営層の間では賛否があったものの、浅田さんは「ひらがなの字面がかわいい」という花澤さんの言葉に基づいて「すまん」を猛プッシュ。若い世代の感性を大切にしたいという思いからだったそうだが、これが結果的に大ヒットにつながった。
若手の感性を生かした発想がすぐに経営層まで上がる環境、一度ダメでも再チャレンジしやすい風土、そしてそれらを受け入れる経営層の柔軟性──。「すまん」の大ヒットは、このすべてが融合した結果だろう。中島さんも、この商品の開発経緯を「当社らしくて面白いでしょ」と楽しそうに笑う。
社員全員で商品開発
井村屋には、こうしたアイデアを世に送り出す柔軟さに加え、おいしいと評判のレストランがあれば開発担当者を会社のお金で食べに行かせる積極性も。外で吸収してきた新しい経験と自社の技術が合致したときこそ、他社にない商品を生み出せる──。中島さんはそう考えている。
「今も、社員のアイデアを反映した商品開発会議では、会長や私をはじめ各部門の責任者が集まりコメントする機会があります。開発者の心意気やストーリーを聞きながら新商品やお菓子をたくさん食べられて楽しいですよ(笑)」
今後は、引き続き「全員開発」の姿勢で商品を進化させつつ、核となるあずき商品のグローバル展開を目指す。合言葉は「日本のあずきを世界のAZUKIに」。そのためにも男女問わずイノベーションを起こしうる人材を多く育て、同時に社会に貢献できる企業にしていきたいと語る。中島さんの、そして井村屋グループの挑戦はこれからも続いていく。