「歴史のなかで何を自らに問うて生きるのか」

立花は、体験の継承を「三次的継承」から説く。なぜだろうか。開戦前の彼我の戦力比に大きな違いがあるのに、なぜ戦争を選んだのかとの問いは、普通には継承のレベルでは初めに来ることではない。しかし立花は自らも戦後民主主義の第1期ともいうべき世代だと簡単に言った後に知性で説くのだ。本書の長崎大学での講演(2015年1月17日)は、私たちとの札幌でのシンポジウムから5年余後になるが、読んでいて立花の体験継承を土台に据えての知性の分析による覚悟が感じられて、私は立花の心中に「人生の段階(生きるステージ)」が上がってきているのだな、と受け止めた。私が猫ビルで4時間ほど対話した頃になるだろうか、立花の中に、「若い世代」に語り継ぐという姿勢が生まれているということであった。それは何も若い世代と接するという意味ではなく、君たちは何を参考に生きるのか、歴史のなかで何を自らに問うて生きるのかを、自分に問え、その時の参考の一助にと私は語っているんだ、私だってそう問うてきたんだ、という感情の(ほとばし)りが感じられる。

レトロ画像の古いポケット時計
写真=iStock.com/DutchScenery
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知性が放射線状に広がっていった

この講演には立花が、思考を深めることになる歴史のキーワードがさりげなくある。少々引用すると、「僕は一〇〇%戦後民主主義世代なんです」「僕たちは戦前と戦後の時代の断絶を感じながら生きてきました」「あの戦争のあの原爆体験というものは、本当にすべての人が記憶すべき対象です」「戦争が終わったときにどん底で、僕はそのときに五歳ですから、毎日食うものもなくて、本当に大変だったんです」などから立花の知性は、放射線状に広がっていった。

さらに一次的継承の試みというべきだが、立花は大胆な方法も考えている。2010年6月に立教大学の立花ゼミで、主にゼミ生を相手に母親の龍子、兄の弘道、妹の菊入直代、そして立花の4人で、「敗戦・私たちはこうして中国を脱出した」というタイトルで終戦時の体験を語っている。札幌での私たちの「戦争体験を次代にどう語り継ぐか」の実践でもあったのだろう。