海外(香港・南アフリカ)と日本を行ったり来たりの生活

「幼い頃、理子を親の都合であちこち振り回しちゃって、本当に申し訳なかったです」

そう言うのは、母親の裕子さんだ。確かに、生まれてから小学5年生までの約10年間は海外と日本を行ったり来たりして慌ただしかった。

神谷理子さん
写真提供=本人

理子さんは、幼少期から父親の仕事の関係で、香港と南アフリカと日本で暮らしてきた。海外の最初は、香港。1歳半頃から小学1年生の終わりまでの約4年半、現地のインターナショナル幼稚園や日本人学校で学んでいた。2度目の南アフリカは、小学4年生の約1年間。小学2、3、5、6年生は母親の実家がある千葉県の小学校へ通った。

小学5年生のときに南アフリカから帰国後、公立小学校に編入。中学受験をするため個別指導塾に通い、その後、江戸川女子中学高校に通うことになった。

理子さんは当時の心境をこう振り返る。

「当時は受験の意味がよくわかっていませんでした。本来は負けず嫌いな性格ですが、このときは勝負する気持ちがなかったと思います。私のことで一生懸命な母に従い、塾に入り、塾の宿題をこなしていた感じでした。だから、中学受験が終わった後は、やっと勉強から解放された~と思った記憶があります」

「私も負けてられない」友達との再会で勉強意欲に火が付いた

理子さんが通っていた江戸川女子中学高校は中堅私立女子校で、東大をはじめ難関国公立大学への合格者はほとんどいない。理子さん自身も高校1年生までは東大を意識することはまったくなかった。そこから、どのように東大を意識し、学力を最難関レベルへ引き上げたのか。

一発逆転合格のターニングポイントは友達との再会だ。

神谷理子さん
写真提供=本人

高校1年生の学校からの帰り道、小学校のときに通っていたテニススクールの仲間、ゆうかさんに偶然、再会したのだ。小学校時代には、興味が似ていることから意気投合し、「大親友」と言える仲だったが、小学校卒業とともに疎遠になっていた。

そして久しぶりに会った彼女は高校受験で猛勉強をし、地元のトップ進学校の生徒になっていた。そのことに衝撃を受けた理子さんだが、ゆうかさんが高い目標を持っていることにも驚いた。

「彼女は東大志望だったんです。久々に再会して話したときに『理子も行けるよ』『一緒に東大行こう』って言われたんです。褒められたようでとてもうれしかったんですが、その半面、かつては成績も同じくらいの似た者同士だと思っていたから、私も負けてられないって悔しさも感じました。すでに後れをとっている焦りも感じました。あの日のことはよく覚えています」

学校の成績は「平均かそれより下だった」という理子さんはそれから猛勉強を始める。