死後に崇敬されたバッハ

1750年にバッハは亡くなっているが、死後30年経っても作曲家の間ではバッハは決して忘れられた存在ではなかった。モーツァルトはバッハの楽譜を熱心に学んだひとりである。

猪木武徳『社会思想としてのクラシック音楽』(新潮選書)
猪木武徳『社会思想としてのクラシック音楽』(新潮選書)

モーツァルトが、父と姉への手紙の中で、ウィーンでスウィーテン男爵からバッハとヘンデルの楽譜のコレクションを見せられ、その音楽に強い関心を示したこと、そして毎週日曜日の昼12時から、スウィーテン男爵邸で開かれた演奏会ではヘンデルとバッハだけが演奏されたことを熱っぽく語っている。

またモーツァルトはバッハが作曲したいくつかのフーガ(W・F・バッハの作品も含む)に導入部を加えて弦楽三重奏用に編曲(K404a)している。K405の弦楽四重奏用の5つのフーガもバッハの『平均律』からのものである(この編曲がモーツァルト自身によるものなのかの確証はないとする専門家もいる)。

少年ベートーヴェンも、1783年3月にボンでデビューを飾った折、手渡されたバッハの『平均律』のプレリュードとフーガを初見で弾いたという逸話が残っている。そして、ウィーンに出てからも、スウィーテン男爵のサークルから誘いを受けている。ベートーヴェンが亡くなったとき(1827年)、遺品の中から、バッハのモテット、『平均律』、『インヴェンションとシンフォニア』、『トッカータ(ニ短調)』の楽譜が見つかったという。

1830年代になると、作曲と音楽評論の両分野で才能を発揮したシューマンがロマン派の音楽を主導するようになるが、そのシューマンが絶賛したショパンもブラームスも、驚きとともにバッハの音楽への敬意と賞賛を示している。

作曲家としてのシューマンは、バッハの無伴奏ソナタに鍵盤楽器の伴奏を付けたり、B・A・C・Hの音を素材としたフーガを作曲している。ブラームスがバッハの無伴奏ヴァイオリンのための「シャコンヌ」をピアノの左手用に編曲しているのも、バッハへのオマージュだ。

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