彼の足跡は「インスタ映え」を求めて旅をする現代人と重なる

本書では、蓑虫山人が日本全国を放浪する過程を明らかにしていく。様々な地域の庶民たちと交流する中で、蓑虫山人は常に筆を執り、絵を描いた。寄る辺なき旅人は、居場所を獲得する手段として、相手の懐に入り込む人間力と絵を用いた。現代に残る彼の描いた絵には、自ら赴いた各地の名勝や人々との宴会の模様が描き出されている。絵を写真に置き換えれば、彼の足跡は「インスタ映え」を求めて旅をする現代人と重なる。

望月昭秀『蓑虫放浪』(国書刊行会)
望月昭秀『蓑虫放浪』(国書刊行会)

「仙人とか言って気取ってますけど、超庶民なんですよ。みんなが好きなことが好き。だから、滝が大好きだし、良い風景があれば必ず見に行く。親近感が湧くんじゃないかな。時代としては全然違うんですけど、現代人と繋がっているところがあると思います」

蓑虫山人が描き、好んだものの1つが縄文土器だ。本書によると、1878年、青森県の下北半島で石器の最初のスケッチを描いたという。「縄文」という名称の由来になった、モースによる大森貝塚の発掘調査は77年。当時まだ、発掘された土器は「神代品」と呼ばれていた。蓑虫山人が「神代品」に夢中になったことが120年を経て望月氏との縁になる。というのも、望月氏は縄文時代をテーマにしたフリーペーパー『縄文ZINE』を主宰しているからだ。

「最初は縄文時代の造形物から入りました。長野県茅野市にある尖石縄文考古館がちょうどいいドライブコースにあって。もともとデザインが仕事なので、興味を持ちました。すごく新鮮なのに、こんなに古い、そういう面白さ。蓑虫山人も東北に行って、驚いたんだと思います」

望月氏は「1人の縄文おじさん」として、蓑虫山人にシンパシーを感じたという。120年以上前の日本で、縄文土器を描いた絵は珍しい。そんな背景もあり、蓑虫山人は現代の縄文時代好きにはちょっとした有名人なのだ。

「と言っても僕も詳しくは知らなかった。調べ始めたのは写真家の田附勝さんとの出会いがきっかけでした。そのときに『蓑虫山人って知ってる?』と、田附さんは蓑虫が描いた土偶の絵のタトゥーが入った腕を見せてくれたんです。思わず笑ってしまったのですが、この人をここまで本気にさせた蓑虫山人のことが俄然気になったのです」

そこで望月氏は田附氏と共に取材を開始。本書には田附氏の手による写真が多数収められている。

生きた時代も職業も違う彼らが、縄文というテーマに心引かれ、繋がっていく。このことに、望月氏は現代のような分断の時代を解決するヒントがあるのではないかと考えている。