※本稿は、坂口孝則『稼ぐ人は思い込みを捨てる。』(幻冬舎)の一部を再編集したものです。
課長職になるまで、同期では給料に差がつかなかった
私が以前勤めていた大企業では、課長職になるまで、同期の間で給料はほぼ1円も差がつかなかった。それが、私には不満だった。
会社の説明では、給料を安定的に払うことが従業員の安心につながるらしかった。たとえばあるとき月給が100万円、違う月は10万円だったらとても暮らしていけない。また、間接部門のように結果に差がつきにくい仕事もあるから不公平だ。さらには、A君は拡大する市場を相手にしているが、B君は衰退産業を相手にしており、しかし、双方とも重要な事業だ、と。
ならば、と私は会社を飛び出した。自分のサービスが社会に求められるのであればおのずと売れた分だけ収入があがる。逆もまた然り。シンプルで気持ちが良い。
いま、私はコンサルタントとして企業にお邪魔する。私はトップとのみ会話するタイプではないため、一般社員の方々と対話を重ねる。面倒なことも多い。トップから指示された新たなプロジェクトをコンサルタントとはじめることに拒否感を顕にするひともいる。
若いくせに自分自身に満足するなど、馬鹿ではないか
こういうとき、魔法の杖はない。じっくりと会話をしながら、本音や問題をあぶりだすしかない。私も仕事だから嫌々でも遂行してもらう必要がある。そして、面倒なことを重ねているうちに、やっと本音を引き出せる。たとえば飲み会の席などで「いや、正直にいえば、新しいことをやっても給料があがらないから馬鹿らしいんですよね」といった声だ。
「新しいことをやっても給料があがらない」というなら、「給料があがればやる」という可能性が高い。「え、じゃあ、月にいくらあがったらやるんですか」「数万円とかでしょうか」「数万円さえあがったらやるわけですか」といった会話の経験が多々あるため、私は日本人が実は実力主義的なのではないかと疑いをもっている。
面白い資料がある。図表1は日本と諸外国とで「自分自身に満足しているか」を調査したものだ。そこから、日本人の若者の自己肯定感の低さが指摘される。しかし、私などは、若いくせに自分自身に満足するなど、馬鹿ではないかと思ってしまう。日本人の若者のほうがまともではないか。