ドラマ『半沢直樹』の最終回。箕部幹事長の顔色をうかがい怯え、政界で生き残るためには感情を悟られてはならないと能面のようにこわばった無表情を張り付かせていた白井大臣に、表情が戻った。涙し、笑った。男性社会で抑圧された女性たちのリアルがそこにはあった。
片頭痛を持つ欲求不満の女性労働者
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小学生にまで影響を与えたドラマ

最終回視聴率32.7%との数字を打ち立て、TBS系ドラマ・日曜劇場『半沢直樹』が幕を引いた。昨今の日本では人気ドラマシリーズが終わるたび、定型文のようにして「ナントカロスで悲嘆に暮れる人続出」という記事が出るけれど、半沢終了以来2週間、確かに「半沢ロスで悲嘆に暮れる私が続出」だ。

あんまりロスとか言わない私だけれど、毎週目に焼き付いて夢に見る顔芸、歌舞伎や大河のような伝統芸能みあふれる大きな芝居から繰り出されるあざとい名台詞、そして飛び交う唾と怒号にワクワクさせられ続けた後遺症みたいなもので、半沢前の自分が日曜夜をどう暮らしていたかも思い出せず、手持ち無沙汰でどう過ごしていいか分からず、もう飲んで寝るしかないから飲んで寝よう。

ああ、半沢放送の翌朝、我が家の前を集団登校で通っていく小学生たちが口々に「死んでもヤダねー!」とか「おしまいDEATH!」とか嬉しそうに言い合っているのを聞きながらコーヒーを飲むのは楽しかったなぁ。親や先生に渋い顔をされても小学生が真似しちゃうくらいの無邪気なキャッチーさが、社会的影響力を持つヒットの条件である。そしてその無邪気さが、本当は無邪気などでなくて慎重に計算されたものであることに、このドラマに対する視聴者の支持の本質があったと思う。