引っ込み思案な自分を変えた場で、子供に関わる仕事を

実は、学生時代は英語が苦手。そこで生徒として通い始めたのがイーオンだった。スタッフや教師と親しく関わるなかで英語が好きになり、オーストラリアへの短期留学にもチャレンジ。引っ込み思案な自分が変わっていく喜びを感じられたという。

大学では児童福祉を学び、子どもと関わる仕事をしたいという希望もあって、イーオンへ入社。アシスタントマネージャーとして、生徒のサポートや受付業務、広告・営業などすべて担当することになった。

「私も生徒だったときは、アシスタントマネージャーといえば、明るく親身に相談にのってくれる存在。どこか暇そうに見えたというか(笑)、常にキラキラと余裕をもって接してくれていたので憧れていました。でも、仕事に就くと、その裏ではこんなことまでやってくれていたのかと感動しました」

不安だらけのスクール運営。名刺を渡す自信もなかった

最初に配属されたのは、横浜で800人規模の大きなスクールだった。スタッフのため、学校のためにがんばりたいと意気込むあまり、空回りして悔し泣きしたことも。2年目には思いがけずマネージャーに昇格。だが、嬉しいどころか、むしろつらかったと振り返る。

「とにかく不安ばかりで、経験不足の私でいいのかと後ろ向きになってしまう。マネージャーの名刺もなかなか自信をもって渡せない日々が続きました」

それから9カ月後、2011年3月には東日本大震災に見舞われた。翌日から一人で生徒全員への電話に追われたが、「連絡が遅い!」と怒鳴られることも多かった。外国人教師の中には東京を離れる人もいて、クラスの調整も大変だった。

こうした困難に直面するなかで、いつも心がけてきたのは「誠意を尽くす」こと。どんな事態でも丁寧に対応することで、生徒やスタッフとの信頼関係が築かれていく。最初はスクール運営も不安ばかりだったが、チームで数字を達成することが楽しくなっていった。

ポロッと弱音を漏らしたとき。今も心に残る、上司がかけてくれた言葉

そして入社8年目、村井さんは管理職に昇進する。29歳にして、「最年少のエリアマネージャー」に抜擢されたのだ。エリアマネージャーになると本社所属となり、東京・埼玉で9校のスクールを束ねることになった。スタッフの育成から人事管理まで業務はさらに増えるが、何よりプレッシャーを感じたのは部下との関わりだった。

自分よりもキャリアの長い部下や年上の部下をもち、同じ立場で活躍しているエリアマネージャーは大先輩ばかり。肩書と実力のギャップが身に染みて、初めは本社へ通うだけで緊張していた。

「本社の決定事項をスクールのマネージャーに落とし込んでいく役割もあるのですが、現場の思いもわかるから、これを伝えなきゃいけないのはつらいなという苦悩もあります。会社と現場の狭間にいる孤独も感じましたね」

スクールのマネージャー時代は毎日一緒に働くメンバーがいて、チームでひとつの目標を目指す充実感があった。だが、エリアマネージャーになると、それぞれ環境や規模も違う9校をまとめる「ビジョン」を求められる。

「でも、正直なところ『ビジョン』って何だろうと先を見通せない自分も苦しかった。それでも部下に嫌われないようにと、薄っぺらいビジョンを何とか立てては、必死にがんばるしかなくて……」

そんなとき、今の上司でもある先輩のエリアマネージャーと食事をする機会があった。村井さんはその場で思わず、ポロっと弱音を漏らしたのだという。

「自分には知識もないし、経験もない。『そんな私がエリアマネージャーでは、エリアの皆がかわいそうです』と。すると、『そう思うこと自体が(部下にとっては)かわいそうだよ』と。また『選択が正解かどうかよりも、選んだ道でどう前を向いてやっていくかが大事なんだよ』とも言われて。それらの言葉がずっと心に残っているんです。自分が弱気でいたら、現場でがんばっている人たちに失礼だと気づき、周りに恥じない仕事をしたいと思うようになりました」