来ることで元気になる「イーオン」に
今年4月7日に緊急事態宣言が発令され、英会話スクールもこれまでにない対応に追われた。イーオンも休校を決めたが、ただちに準備を進めて2週間後にオンライン学習をスタート。教室内の消毒や定員を絞るなど、万全の感染対策を整えると、6月中旬から対面でのレッスンを再開した。
その間、各スクールでは生徒一人ひとりに連絡をし、フォローに追われた。スタッフや教師も不安を抱えながらの業務が続き、生徒数が減ることも予想される。まさに未曽有の困難のもと、東京本社で対応してきた村井さんは渦中の思いをこう語る。
「新型コロナへの不安から休学される方もいましたが、やはり対面を望む方たちが多く、『やっと来られた』という嬉しいお声も聞けました。スタッフもしんとした学校でひたすら電話をかけていた状況から、ふだんの業務に戻るなかで活気が戻っています。マネージャーとしては、スタッフを守っていくためにも、『今こそがんばろうね!』と励まし合いながらやってきました」
英語の上達だけじゃなく、イーオンに来ることで元気になれるようなスクールにしたい――。入社以来、村井さんが大切にしてきたことだ。
引っ込み思案な自分を変えた場で、子供に関わる仕事を
実は、学生時代は英語が苦手。そこで生徒として通い始めたのがイーオンだった。スタッフや教師と親しく関わるなかで英語が好きになり、オーストラリアへの短期留学にもチャレンジ。引っ込み思案な自分が変わっていく喜びを感じられたという。
大学では児童福祉を学び、子どもと関わる仕事をしたいという希望もあって、イーオンへ入社。アシスタントマネージャーとして、生徒のサポートや受付業務、広告・営業などすべて担当することになった。
「私も生徒だったときは、アシスタントマネージャーといえば、明るく親身に相談にのってくれる存在。どこか暇そうに見えたというか(笑)、常にキラキラと余裕をもって接してくれていたので憧れていました。でも、仕事に就くと、その裏ではこんなことまでやってくれていたのかと感動しました」
不安だらけのスクール運営。名刺を渡す自信もなかった
最初に配属されたのは、横浜で800人規模の大きなスクールだった。スタッフのため、学校のためにがんばりたいと意気込むあまり、空回りして悔し泣きしたことも。2年目には思いがけずマネージャーに昇格。だが、嬉しいどころか、むしろつらかったと振り返る。
「とにかく不安ばかりで、経験不足の私でいいのかと後ろ向きになってしまう。マネージャーの名刺もなかなか自信をもって渡せない日々が続きました」
それから9カ月後、2011年3月には東日本大震災に見舞われた。翌日から一人で生徒全員への電話に追われたが、「連絡が遅い!」と怒鳴られることも多かった。外国人教師の中には東京を離れる人もいて、クラスの調整も大変だった。
こうした困難に直面するなかで、いつも心がけてきたのは「誠意を尽くす」こと。どんな事態でも丁寧に対応することで、生徒やスタッフとの信頼関係が築かれていく。最初はスクール運営も不安ばかりだったが、チームで数字を達成することが楽しくなっていった。
ポロッと弱音を漏らしたとき。今も心に残る、上司がかけてくれた言葉
そして入社8年目、村井さんは管理職に昇進する。29歳にして、「最年少のエリアマネージャー」に抜擢されたのだ。エリアマネージャーになると本社所属となり、東京・埼玉で9校のスクールを束ねることになった。スタッフの育成から人事管理まで業務はさらに増えるが、何よりプレッシャーを感じたのは部下との関わりだった。
自分よりもキャリアの長い部下や年上の部下をもち、同じ立場で活躍しているエリアマネージャーは大先輩ばかり。肩書と実力のギャップが身に染みて、初めは本社へ通うだけで緊張していた。
「本社の決定事項をスクールのマネージャーに落とし込んでいく役割もあるのですが、現場の思いもわかるから、これを伝えなきゃいけないのはつらいなという苦悩もあります。会社と現場の狭間にいる孤独も感じましたね」
スクールのマネージャー時代は毎日一緒に働くメンバーがいて、チームでひとつの目標を目指す充実感があった。だが、エリアマネージャーになると、それぞれ環境や規模も違う9校をまとめる「ビジョン」を求められる。
「でも、正直なところ『ビジョン』って何だろうと先を見通せない自分も苦しかった。それでも部下に嫌われないようにと、薄っぺらいビジョンを何とか立てては、必死にがんばるしかなくて……」
そんなとき、今の上司でもある先輩のエリアマネージャーと食事をする機会があった。村井さんはその場で思わず、ポロっと弱音を漏らしたのだという。
「自分には知識もないし、経験もない。『そんな私がエリアマネージャーでは、エリアの皆がかわいそうです』と。すると、『そう思うこと自体が(部下にとっては)かわいそうだよ』と。また『選択が正解かどうかよりも、選んだ道でどう前を向いてやっていくかが大事なんだよ』とも言われて。それらの言葉がずっと心に残っているんです。自分が弱気でいたら、現場でがんばっている人たちに失礼だと気づき、周りに恥じない仕事をしたいと思うようになりました」
寄り添うだけではいけない。マネジメントの難しさを痛感
村井さんはできるだけスクールに足を運び、現場の様子を把握するよう努める。部下と面談する機会も多かったため、そのたびに「なんでも言ってね!」と寄り添う言葉をかけた。だが、それが裏目に出て、部下の甘えにつながったこともある。上司としての指示や忠告を伝えても、「じゃあ、そちらで対応してください」などと反発され、威圧的な態度をとられて悲しくなったこともあるそうだ。
今も苦い思い出なのが、自分が指導をした直後に、部下のひとりが突然辞めてしまったことだ。あるとき、その部下がマネージャーを務めるスクールの生徒からクレームがあり、村井さんが対応に当たった。後に内容と今後の対応に関するアドバイスを、電話で伝えたところ、彼女からいきなり退職届けが送られてきたという。
驚いた村井さんは急いでスクールへ駆けつけ、二人で話し合ったものの、彼女は前々から辞めようと思っていた、今回の一件のせいではないと言う。それでも村井さんは、今まで優しく寄り添ってきた自分に急に上司らしく指導されたことが嫌だったのではないか? ただ優しくするだけではなく、言いたいことを言い合いながら良い関係が築けていれば、この退職は防げたのではないか? などの悔いを感じ、今までの自らのマネジメントを反省したという。
その後は、部下と接する際に、部下の希望に応える努力をするというよりも、「迅速に、誠実に、曖昧にせず、対応すること」を意識し、言葉ではなく行動で相談しやすい環境づくりを整えるよう努めた。また、相談を受けた場合には、自らの意見を述べたり判断をくだしたりする前に「~さんは、どうしたい? どうしようと思ったの?」などと投げかけ、部下が自ら時間を設けてから、背中を押すアドバイスをするように心掛けるようになった。
さらに、この話をするのは電話やメールで良いか? これは本社で直接話した方が誤解なく伝わるのではないかなどと、伝える手段やタイミングを考えるようにもなったという。
ただし、エリアマネージャーとして退職面談で部下を引き留める一方で、自分も逃げ出してしまいたいと思う時があったと、村井さんは振り返る。
「まだエリアマネージャーになって一年も経っていなかったので、ここで投げ出せない。せめて3年はがんばろうという気持ちでいたのですが、マネジメントの難しさを痛感し、自己嫌悪に陥るたびに、自分のタイミングでスパッと辞められることをうらやましく思うこともありました。この大変さがずっと続くのかと思うと、先の見えない不安があったのかもしれません」
再開したスクールで、生徒やスタッフに元気をもらう日々
それでも続けられたのは、かつて自分も生徒として感じていた思いがあったからだ。イーオンに来ることで元気になれる――。スクールの現場にいるとそう感じられる瞬間があり、やっぱりこの仕事が好きなのだと思えた。
スクールでは幼児から高齢の生徒までさまざまな人たちが通う。それぞれに成長していく姿を見たり、生徒から嬉しい言葉をかけられたり。〈ここに来るのがすごく楽しくて、人生が豊かになりました〉という手紙をもらったこともある。そうした人との関わりが励みになってきた。
それだけに今年4月に直面したコロナ禍の休校はつらかったが、現場の仲間と励まし合いながら乗り越えてきた。今は再開したスクールで、生徒やスタッフの笑顔に元気をもらっているという村井さん。
客観的に自分もマネジメント。自分の機嫌は自分でとる
これまでの経歴だけを見れば、まさに順風満帆なキャリアップ。だが、その陰ではいつも不安に揺れ、プレッシャーに押し潰されそうになりながらも懸命に頑張ってきたことがわかる。くじけそうになるとき、実は自分を元気づける秘訣があったようだ。
「自分のご機嫌は自分でとることです。そのためには、今はイライラしているなとか、落ち込んでいるなとか、自分の状態にいち早く気づくことが大事。客観的に自分を見る習慣がついたので、もうダメかなと思ったらすぐリフレッシュできるようになったんです」
おいしいランチを食べたり、友だちと買い物や遊びに出かけたり。今は自粛中なので韓国ドラマやK-POPのアイドルにはまっている。食べることも大好きで、何よりご機嫌になれるのは「焼き肉」だと声がはずむ。
今後も、たとえば家庭をもって子育てをするなどの、はじめての機会に臨むことが公私ともにあるかもしれない。しかし、この先どんなことがあったとしても、今まで仕事で経験してきた失敗や教訓が活かされるはず。だから、これからも「わたしなら大丈夫、大丈夫! と、前向きにやっていく方法を考えていけるように思うんです」と、村井さんはほほ笑んだ。