立場が違う人から学べる人は何が違うのか

さて、少し長くなりましたが、以上が本連載で扱う富裕層像です。彼ら/彼女らとは立場や価値観が違ったとしても、そこから学ぶことができる人は、抽象化能力が高い人ということができます。

この能力のおかげで私たちは個別具体的な少数の経験からでも法則を見いだし、「あ、この人にはこういう接し方がいいだろうな」とか「これは自分の仕事に応用できそうだ」などと対応していけるわけです。この能力が高ければ「一を聞いて十を知る」ことができます。

一方で、抽象化することが不得手な場合、「いや、こういう人もいる」「そんなことないだろ」「データで示せ」などという反応をしがちです。なぜなら、例外に引きずられて一般化できない、固定観念に縛られ情報をインプットできない、データを重視するあまり、定性情報から傾向を抽出できないといったことが起きるからです。

以前、コラムでこのようなことを書きました。

 知識・情報・経験を組み合わせて成功法則を導き出せるのは、抽象化能力の高さがあってこそです。また、そこから実行に移すには徹底的な具体化能力が求められます。ビジネスモデルは抽象的なものですが、実行計画は具体そのものです。
 料理も同じく、たとえば献立の組み立ての構想は抽象であり、個々のメニューの調理は具体です。一流の料理人は両方できますが、二流三流の料理人は調理しかできないのです。
 起業家や経営者はグランドデザイン(戦略)を描き、それを実務に落とし込む。そしてそれらを実践するのが一般従業員であるように、成功者は具体と抽象を往復する能力が高く、貧しい人のほとんどは具体の世界でしか生きていない。
 だから凡人は具体的な指示を与えられないと動けないため、たとえば「これ任せるから好きにやって」と言われたら混乱しますが、成功する人は嬉々として取り組むものです。

「具体と抽象の往復」がどれほど重要であるか理解できると思います。そしてこの具体と抽象というのは、まさに『具体と抽象』という著書を持つ細谷功氏によると、マジックミラー(一方からは見えるが、反対からは見えない)の側面を持っていて、抽象的思考能力が高い人は具体の世界も見えますが、抽象化能力が低い人、つまり具体の世界で生きる人には、抽象化の世界が見えないという側面があるのです。具体の人は、自分が見えていないことにも気が付きません。

むろんこれは程度問題でイチかゼロかという話ではありませんが、この差は、「住んでいる世界が違う」といえるほど、大きな差です。

メインメッセージが何かを見落としてはいけない

前回のコラムのメインメッセージは「自分の支出を見直そう」であり、冒頭と最後の2カ所にも書いています。しかし、「富裕層」に対して自分が抱く固定観念と違うからといって、それに引きずられてしまうのは知的に打たれ弱いといえるでしょう。

知的に打たれ強い人は、仮に自分には関係なさそうだと判断した場合、それを自らの脳内で排除して論点を理解できる人です。「富裕層が~」という言葉が邪魔に感じられるなら、読解の過程でその言葉を取り除き、記事の中身の何が自分の生活に取り入れられるか考えられるのです。

誰からも、どんな個別具体的な経験からも学ぶことができて、うまくいく人というのは、「へえ、そういう考えもあるんだ」と自分とは違う意見・価値観への許容力が高いのです。だから他社や他業界のいろいろなビジネスモデルやアイデアを取り入れられるというわけです。

違和感は大切ですが、感情的に反発すると何も学ぶことができなくなり、「学習能力を下げる」ことにもなります。