立場や意見が違う人と接することは、本来、大きな学びのチャンスになるはず。けれども、意見が違うからこそ感じる違和感や否定的な感情が邪魔をして、そのチャンスをみすみす逃がしてしまうこともあります。学びのチャンスを逃がさないように、心がけるべきこととは――。
魅力的なアジアの女性
※写真はイメージです(写真=iStock.com/miya227)

「普通の人」が「すごい人」になる過程にヒントがある

前回のコラム「コロナ禍だからこそ見習いたい、イマドキ富裕層が『しない』生活習慣7つ」では、固定電話やテレビを持たず、格安スマホを利用するなど、家計の見直しのヒントとなるような富裕層の行動を紹介しました。これには批判も含めて多くのご意見をいただいきました。

とくに多かったのは「富裕層はそんなことしないだろ」「データなどの根拠があるのか?」というご指摘です。そこで今回は、少し丁寧に補足説明したいと思います。

本連載で前提としている「富裕層」とは、先祖代々の富裕層ではありません。本人の努力や能力とは無関係にお金を持っている人の教えは、凡人が成功するために必ずしも役に立つとは限らないからです。あるいは悠々自適の超資産家の生活を知ったところで、私たちに応用できることは多くないでしょう。

たとえば「プライベートジェットで時間を節約」という話を読んで、では自分もプライベートジェットを買おうということになるか、です。

せいぜい、「ふ~ん、すごいねえ」くらいではないでしょうか。

それではあまり意味がありません。

そこで本連載では、富裕層の定義を一代で財を成した「成金」に設定しています。

成金というとネガティブなイメージがあるかもしれませんが、将棋のコマと同じく、「歩」という一兵卒であっても、前進すればト金に成ると言えばわかりやすいでしょうか。

成金も最初は凡人。そこから収入を増やして成金になり、それが続いた結果として富裕層になっていきます。

そういう「普通の人がすごい人になっていく過程でやっていたこと」や、そういう人の思考パターンと行動パターンの方が、平凡な私たちには学びが多いはずである、という発想で本連載に取り組んでいます。私自身も起業してから約20年近くになりますが、そうやって成功していった人を数多く見てきましたし、一方でそうではない人も多数見てきたからです。

「富裕層とは思えない年収」の人が多い

また、私が起業した当時はまだスマホが存在していない時代であり、この20年で人々のライフスタイルも大きく変わりました。そのため、最近はインターネットを駆使し、若くして成功する人に出会うことが増えました。また、当時私が学んだ富裕層も、そろそろ引退、隠居のタイミング。すでに第一線を退き交流が途絶えた人もいます。

なので、かつての富裕層がやっていることよりも、最近の若い富裕層の思考と行動から得る教訓のウエートを多くしています。年齢的には20代後半~50代前半といったところで、30代後半~40代後半がボリュームゾーンです。これは私の年齢的に、そういう人との交流が多いということでもあります。

対象の職業は主に「起業家・経営者・自営業者」で、事業規模から見て明らかに「年収2000万円は超えているであろう」人です。

ここで「年収2000万円なんて大したことないな」という人は実態が見えていません。というのも、このくらいになると個人の実効税率が55%と大きな負担となるため、売上は法人名義にして本人は役員報酬として給与をもらう形のほうが、税効果上キャッシュアウトが少なく済むからです。

その役員報酬も上げれば上げるほど社会保険料負担が大きくなるので、それもあまりうれしいことではありません。だからほとんどの人は自分の収入自体は減らす傾向となり、統計上は「富裕層とは思えない年収」なのですが、それは見かけだけなのです。

富裕層は意外に現預金が少ない

世間では富裕層の定義を「金融資産1億円以上」などと言われますが、友人知人に「いくら持ってるの?」などとは失礼で聞けませんし、仮にアンケートを取っても本当のことを言うとは限らない。

なので事業の様子を見て、「明らかにこれぐらいはいってるな」、という観察ベースであることはご了承ください。

たとえば「こないだ5億円の1棟ビルを買ったよ」というなら、ローンを組むとしても少なくとも2000万円以上の年収(あるいは年商)があり、1億円程度の余裕資金があるとわかる、といった具合です。

むろん富裕層にもいろいろあり、冒頭の先祖代々からの富裕層もいれば、事業を興してバイアウトし、その資金でベンチャーキャピタルファンドなどを運営しているような富裕層もいます。私の知り合いにも両方いますが、最も多いのが「現役でビジネスをしている富裕層」です。彼らの意外な特徴としては、「現預金が少ない」ことです。その理由は、現金はほぼ事業に再投資しているからです。そのため資産のほとんどは株や不動産で、「貯金を取り崩しながら悠々自適」というイメージとはかけ離れています。

だから「金融資産の額」などといった統計からは浮かび上がってこないのです。それはソフトバンクの孫正義氏やファーストリテイリングの柳井正氏を見れば明らかなように、彼らにとって事業とは生きがいでもあるのです。

立場が違う人から学べる人は何が違うのか

さて、少し長くなりましたが、以上が本連載で扱う富裕層像です。彼ら/彼女らとは立場や価値観が違ったとしても、そこから学ぶことができる人は、抽象化能力が高い人ということができます。

この能力のおかげで私たちは個別具体的な少数の経験からでも法則を見いだし、「あ、この人にはこういう接し方がいいだろうな」とか「これは自分の仕事に応用できそうだ」などと対応していけるわけです。この能力が高ければ「一を聞いて十を知る」ことができます。

一方で、抽象化することが不得手な場合、「いや、こういう人もいる」「そんなことないだろ」「データで示せ」などという反応をしがちです。なぜなら、例外に引きずられて一般化できない、固定観念に縛られ情報をインプットできない、データを重視するあまり、定性情報から傾向を抽出できないといったことが起きるからです。

以前、コラムでこのようなことを書きました。

 知識・情報・経験を組み合わせて成功法則を導き出せるのは、抽象化能力の高さがあってこそです。また、そこから実行に移すには徹底的な具体化能力が求められます。ビジネスモデルは抽象的なものですが、実行計画は具体そのものです。
 料理も同じく、たとえば献立の組み立ての構想は抽象であり、個々のメニューの調理は具体です。一流の料理人は両方できますが、二流三流の料理人は調理しかできないのです。
 起業家や経営者はグランドデザイン(戦略)を描き、それを実務に落とし込む。そしてそれらを実践するのが一般従業員であるように、成功者は具体と抽象を往復する能力が高く、貧しい人のほとんどは具体の世界でしか生きていない。
 だから凡人は具体的な指示を与えられないと動けないため、たとえば「これ任せるから好きにやって」と言われたら混乱しますが、成功する人は嬉々として取り組むものです。

「具体と抽象の往復」がどれほど重要であるか理解できると思います。そしてこの具体と抽象というのは、まさに『具体と抽象』という著書を持つ細谷功氏によると、マジックミラー(一方からは見えるが、反対からは見えない)の側面を持っていて、抽象的思考能力が高い人は具体の世界も見えますが、抽象化能力が低い人、つまり具体の世界で生きる人には、抽象化の世界が見えないという側面があるのです。具体の人は、自分が見えていないことにも気が付きません。

むろんこれは程度問題でイチかゼロかという話ではありませんが、この差は、「住んでいる世界が違う」といえるほど、大きな差です。

メインメッセージが何かを見落としてはいけない

前回のコラムのメインメッセージは「自分の支出を見直そう」であり、冒頭と最後の2カ所にも書いています。しかし、「富裕層」に対して自分が抱く固定観念と違うからといって、それに引きずられてしまうのは知的に打たれ弱いといえるでしょう。

知的に打たれ強い人は、仮に自分には関係なさそうだと判断した場合、それを自らの脳内で排除して論点を理解できる人です。「富裕層が~」という言葉が邪魔に感じられるなら、読解の過程でその言葉を取り除き、記事の中身の何が自分の生活に取り入れられるか考えられるのです。

誰からも、どんな個別具体的な経験からも学ぶことができて、うまくいく人というのは、「へえ、そういう考えもあるんだ」と自分とは違う意見・価値観への許容力が高いのです。だから他社や他業界のいろいろなビジネスモデルやアイデアを取り入れられるというわけです。

違和感は大切ですが、感情的に反発すると何も学ぶことができなくなり、「学習能力を下げる」ことにもなります。

データでは見えないものを見よう

先ほど「データで示せ。でないと信用できない」というご指摘があったという話をしましたが、思考パターンや行動パターンから教訓を抽出する作業は、実は定性データの分析の方が適しているというのが私の実感です。

これは、定量データがどうでもいいということではなく、私も雑誌の取材でアンケート結果を見て分析したことは何度もあります(たとえば年収の違いによる行動パターンの対比とか)。

しかし「なぜそうしたのか」という、判断の根拠となった行動原理を想像しやすいのはやはり行動観察からです。

たとえば「富裕層の8割は長財布を持っている」というデータがあったとして、では自分も長財布に変えれば富裕層になるかというと、なるはずがない、というのはおわかりいただけると思います。

「きれいにお札を並べ、レシートやカード類も整理しているから」というのも理由としては不十分で、「金銭管理をきちんとする習慣ゆえに、それが生活の全方位に発揮され、ついでに財布の中も整理されている」わけで、長財布は結果にすぎないのです。

だから結果を見たところでほとんど意味はなく、「なぜそうしたか」を探る作業が必要で、それには個別の人の行動をじっくり観察する必要があります。

定量データに潜む罠

さらに、定量化すると平均化され、突出した人の突出した傾向が埋もれやすくなります。

突出しているがゆえに例外として切り捨てられることになります。前回のコラムでは、昨今は現金も財布も持ち歩かない若手富裕層が出始めていることを紹介しましたが、全体としては少数派でしょう。しかしそれが、将来の多数派になる可能性を秘めているとしたら?

私はこれまで何百人もの起業家・経営者・成功者・富裕層と関わってきたので、少数のパターンからでもその行動原理はおおよそ推測できるし、聞けば教えてくれるのでそれを抽象化して解釈するのはさほど難しいことではありません。

だから最近交流を始めた若手富裕層・成功者の二十数名程度のサンプル数でも十分なのです(そもそも「若手」でかつ「富裕層」という人は絶対数が少なく、そういう人と接点を持つのは簡単ではありません。たまたま仕事上で出会うとか、誰かの紹介とか、わりと偶然に左右されることもが多いのも事実です)。

「抽象化能力」を磨くにはどうすればいいか

意見や価値観の違った人から学べない人の、もう一つ別の理由についても触れておきましょう。

実社会で承認欲求が満たされていないと、他人の主義主張をあれこれ批判する傾向があります。こういう人は意外と多くて、ネットの世界では頻繁に出没します。特にSNSは承認欲求を満たすのに格好のツールで、相手を否定すれば相対的に自分の立場が上がるという壮大な勘違いを起こしやすいと言えます。

ではなぜ承認欲求が満たされないと感じるかというと、ここでもやはり抽象化という概念を使いこなせていないことが挙げられます。

本来は「こういう人生にしたい」という非常に抽象的な生き方の方向性(ビジョン)があり、「そのためにこの分野で能力を発揮しよう」「そのためにこういう仕事に就こう」「そのためにこの業務をしっかりこなそう」という具体的なタスクに落ちていきます。

上位概念の「こういう生き方をしたい」というビジョンがあれば、自分自身が納得できる成果を出している限り、自分の理想の生き方に向かっているという実感があるので、他人の評価は他人の評価として振り回されることはありません。

しかしそういう人生の上位概念がないと、目先の仕事で評価されないだけで「周りは自分を認めてくれない」「こんなにがんばっているのに評価してくれない」などという不満になるわけです。

そして、相手が悪い、書き手が悪いと主張し、自分が能無しではない、相手よりも賢いことを確認しないと気が済まない。逆に相手の主張を認めると、どこか自分が議論に負けたかのように感じ、自尊心が保てなくなるのです。

情報というのは、批判することには意味がなく、その中身を自分なりに咀嚼し、どうすれば自分の生活に取り入れられるか、どう修正すれば自分の役に立つかという姿勢を持つことが大切です。

それが抽象化能力を磨く方法の一つでもあります。