商品ではなく、「信用と負債」が貨幣価値を決める

また、この話が成立するためには、3人全員がお互いのことを完全に信用している必要がある。たとえば、太郎が花子からスイカと引き換えに借用書を受け取り、それを次郎に渡して柿を受け取ろうとした際に、次郎が「花子は信用できないから、その借用書は受け取れない」と言ったら、借用書が3人の世界で貨幣のように流通することはなくなってしまう。

このことから言えることは、誰しも貨幣(借用書という負債)を発行できるが、全ての人々がそれを信用しない限りは貨幣にはなりえないということだ。

つまり、MMTにおいては、貨幣の裏付けとしての商品(金や貴金属)の価値が貨幣を貨幣として流通させるという「商品貨幣論」ではなく、全ての人々が信用する負債が貨幣として流通するという「信用貨幣論」を適用しているのだ。

国と国民と紙幣の関係が分かるモズラーの逸話

MMTが商品貨幣論ではなく、信用貨幣論を支持するということを説明した。しかし、それだけでは、経済学者のランダル・レイが商品貨幣論について、「間抜け比べ」や「ババ抜き」として、説得力に乏しいと指摘したことと変わらない。全ての人々が信頼しているから、その借用書を貨幣として扱うということは、ババ抜きと変わらないではないかと考える人もいるからだ。

ではMMTにおいて貨幣に対する考え方とはどういうものか。ここでMMTを理解するわかりやすいたとえとして、MMTの生みの親ともいわれる投資家のウオーレン・モズラーの名刺の逸話を紹介したい。

モズラーが自分の子どもたちが家の手伝いをしないため、ある日「手伝いをしたらお父さんの名刺をあげるよ」と子どもたちに言った。そうすると、子どもたちは「そんなものはいらない」と答えて手伝いをしなかった。

そこでモズラーは、今度は子どもたちに、「月末までに30枚の名刺を持ってこなければ家から追い出す」と伝えたところ、家から追い出されたくない子どもたちは必死に手伝いをして名刺を集め始めた、という話だ。

逸話に出てくるモズラー(お父さん)を国として考え、名刺を貨幣、子どもたちを国民として考えれば、月末に30枚の名刺を納めよという指示が加わることで、何も価値のない名刺(不換紙幣)を子どもたち(国民)が喜んで受け取る理由がわかる。

「国家が自らへの支払い手段として、その貨幣を受け取ると約束する」という部分をこの逸話は非常にわかりやすく示している。