緊急時の「決められない病」は致命的
昭和時代的リーダーであれば、こんなとき「私が白と言ったらシロです」と断言しただろう。「私が言っているようにやりなさい。それでもし問題が起こったら、私がすべて責任をとる。いいですか、私に従いなさい」と。
組織への忠誠心が強かった時代だから、こう言えばみんなついてきた。組織が一体になり、まさに昨年(2019年)流行語大賞となった「One team」になれた。
しかし今の時代は、上司が何も発信しない。発信したとしても曖昧だ。歯切れが悪いので、痺れを切らし、「白なんでしょうか。黒なんでしょうか」と問いただしたくなる組織メンバーが少なからずいる。にもかかわらず、今の上司はこう返す。
「君はどう思うんだ?」と。
「君は白と思うのか。黒と思うのか」
「私が決めたらいいんでしょうか?」
「君は白がいいと言うのかい」
「社長は白を推奨すると言いますが、課長はどうなんですか。はっきりしてもらえませんか」
「推奨といったら、推奨だよ。強制はしない。君の主体性に任せるよ」
「隣の課の人たちは、全員、黒だと言ってるようです」
「隣の課は、隣の課だからなァ」
「社長が白を推奨していますし、安倍首相だって白だと言ってます」
「それぐらい自分で判断してくれないかな。それに安倍さんが言うことだったら、何でも聞くのかい」
白黒はっきりさせたい部下にとっては、「俺が白と言ったらシロだ!」「私が白と言ったらシロなのよ」と断言してもらいたいだろう。一方で「社長は社長、隣の課は隣の課、安倍さんは安倍さん、そしてうちの部署はうちの部署」などと、組織によって判断が分かれるだの、仕事の中身やシチュエーションによって意見が異なるだのと言う中間管理職たち。
強制するのをやめ、中途半端にメンバーの主体性に委ねつづけた組織は、こんな緊急時であっても「決められない病」にかかっている。
平時のリーダー像、有事のリーダー像
私は決して「昭和的リーダーアゲイン」を唱えているわけではない。杓子定規に、主体性を重んじるのはよそう、ということだ。個人の価値観を尊重するのはいい。だが、それは長期的な視点で、その部下の成長を考えてすればいいこと。
短期的に損失を回避するケースや、今回のような緊急時は、みんなが不安なのだ。拠り所をどこかに探すものだ。だからこそ、リーダーのブレない姿勢が大事だ。
今回、在宅勤務の制度が追い付いていないために対応できないという企業もあるだろう。というか、ほとんどの企業がそうだ。
とはいえ、1時間や2時間しか時間がなかったわけではない。情報を集め、議論し、仮説を立てて、意思決定する。そのために何日が必要か。政府が緊急事態宣言を出すほどである。
制度をつくるのに1週間もかけるべきではない。「平時」ではなく「有事」なのだから。
「平時」は、部下とのペーシング(ペースを合わせる)が大事で、「有事」はリーディング(リードする)を強く心がけよう。リーダーたちは自分の信念や自分なりの哲学をしっかり持って組織を率いることだ。