娘の高熱で会社を休む日がつづく…

長女を出産したのは2011年、入社10年目で育児休業をとった。翌年4月に職場へ復帰、その際に職系の変更を申し出る。全国転勤がある総合職から、転居を伴う異動がない職種に変えるためだ。

もともと自分の可能性を伸ばしたいと思い、一般職から総合職を志願した。結婚後は夫も同じ会社だったので理解があり、家事も分担しながら、互いにやりたい仕事を目指していたが、出産を機に状況は変わる。遠方の支店に勤める夫には保育園の送り迎えを頼めず、一人でしなければならなくなったのだ。まして自分が転勤になったら、娘の転園も難しいだろう。ならば子どもを優先して働こうと決めたのだ。

実際、一歳になった娘が保育園に入園すると、最初は週の半分も通えなかった。日曜日の夜になると決まって高熱を出し、3日ほどお休みすることになるからである。その間、自分も会社を休まざるをえなかった。

少し慣れてくると延長保育を頼んだが、お迎えに行けるのは夜8時頃。それから家に帰り、夕食やお風呂をすませると、娘が寝るのは10時を過ぎてしまう。子どもを早く寝かせたいと話す夫の考えに同感しつつも、当時は現状維持で精一杯だった。

「自分では平気なつもり」だった

両親も仕事をしているので頼るわけにいかず、急病の対応もすべて一人で行わなければならない。しかし、病児保育に任せきりでは娘が可哀そうで、できる限り自分が休むようにした。その一方、仕事が気がかりで心はモヤモヤしていく。そんな矢先、課長への昇格を命じられた。育休から復帰して数カ月後のことである。

「もうびっくりしました。当時は子どもがいる管理職の方もあまり聞いたことがなく、どうしようという不安が先立ったんです。私は時間の制約があり、いつ呼び出されるかもわからないので、とても務まらないのではと……」

元々、職場でも自分で全部を抱えこんでしまうタイプだった。しかしそれでは部下に迷惑をかけてしまう。自分が急遽休んだ場合にも業務が滞ったり、周りの管理職にも迷惑をかけたりすることがないように、コミュニケーションを綿密にして課の状況を共有するように意識し始めた。

それは苦い経験から学んだことでもある。子どもが感染症にかかり、2週間あまり保育園へ行けないときがあった。その間、毎日会社から電話がかかってきて、この案件はどうなっているのか、これはどこまで対応したらいいのか、と相談される。このままだと今後、お客さまにも迷惑をかけることになると反省したのだ。

家では夫に悩みを聞いてもらったが、客観的に厳しいことを言われるとカチンとくることも。

「私は悩みも寝て起きれば忘れるタイプ。だから自分では平気だと思っていたんですが」と振り返る高橋さん。

しかし、体の声は正直だった。慢性的な頭痛に悩まされ、薬を飲んでも治らない。不調が続いても、病院へ行く時間がなかった。そんななかで二人目の子どもを妊娠。ひどい悪阻に苦しむことになる。何も食べられず、10分ごとに吐き気に襲われてはトイレへ駆け込むほど。それでも部下の同行でお客様の元へと足を運んだ際には笑顔を努めた。