各企業の女性管理職のみなさんにお話を聞く、人気連載「女性管理職の七転び八起き」第10回。今回取材したのは、みずほ証券の大森支店で課長を務める高橋静香さん。育児休業から復帰後、以前と状況がまったく変わり仕事と育児の両立に七転び八起きしたと言う。「今は毎日が楽しい」と微笑む彼女の前に以前、立ちはだかった壁や困難とは? またその突破法とは一体どのようなものだったのか——。

仕事と育児の両立に七転び八起きした日々

娘に言われたことがあった。「私が病気のとき、家に知らない人が来て預けられたのが本当にイヤだった」と。

それはおそらく2歳くらいの頃の記憶。娘の具合が悪くても会社を休むことができず、病児保育を頼んだときのことだろうと、母としてはちょっと胸がうずく。

「まさか覚えてないと思ったのですが……。確かに今思えば、娘も預けるときはすごく泣いていて、保育中は『いい子でした』と報告を受けても、その人が帰った後はひどく機嫌が悪いんです。本人は嫌でたまらず、毎回ずっと我慢していたんでしょうね」

そう振り返る高橋さんは二児の母親である。仕事と育児の両立はまさに七転び八起きの日々だったらしい。

娘の高熱で会社を休む日がつづく…

長女を出産したのは2011年、入社10年目で育児休業をとった。翌年4月に職場へ復帰、その際に職系の変更を申し出る。全国転勤がある総合職から、転居を伴う異動がない職種に変えるためだ。

もともと自分の可能性を伸ばしたいと思い、一般職から総合職を志願した。結婚後は夫も同じ会社だったので理解があり、家事も分担しながら、互いにやりたい仕事を目指していたが、出産を機に状況は変わる。遠方の支店に勤める夫には保育園の送り迎えを頼めず、一人でしなければならなくなったのだ。まして自分が転勤になったら、娘の転園も難しいだろう。ならば子どもを優先して働こうと決めたのだ。

実際、一歳になった娘が保育園に入園すると、最初は週の半分も通えなかった。日曜日の夜になると決まって高熱を出し、3日ほどお休みすることになるからである。その間、自分も会社を休まざるをえなかった。

少し慣れてくると延長保育を頼んだが、お迎えに行けるのは夜8時頃。それから家に帰り、夕食やお風呂をすませると、娘が寝るのは10時を過ぎてしまう。子どもを早く寝かせたいと話す夫の考えに同感しつつも、当時は現状維持で精一杯だった。

「自分では平気なつもり」だった

両親も仕事をしているので頼るわけにいかず、急病の対応もすべて一人で行わなければならない。しかし、病児保育に任せきりでは娘が可哀そうで、できる限り自分が休むようにした。その一方、仕事が気がかりで心はモヤモヤしていく。そんな矢先、課長への昇格を命じられた。育休から復帰して数カ月後のことである。

「もうびっくりしました。当時は子どもがいる管理職の方もあまり聞いたことがなく、どうしようという不安が先立ったんです。私は時間の制約があり、いつ呼び出されるかもわからないので、とても務まらないのではと……」

元々、職場でも自分で全部を抱えこんでしまうタイプだった。しかしそれでは部下に迷惑をかけてしまう。自分が急遽休んだ場合にも業務が滞ったり、周りの管理職にも迷惑をかけたりすることがないように、コミュニケーションを綿密にして課の状況を共有するように意識し始めた。

それは苦い経験から学んだことでもある。子どもが感染症にかかり、2週間あまり保育園へ行けないときがあった。その間、毎日会社から電話がかかってきて、この案件はどうなっているのか、これはどこまで対応したらいいのか、と相談される。このままだと今後、お客さまにも迷惑をかけることになると反省したのだ。

家では夫に悩みを聞いてもらったが、客観的に厳しいことを言われるとカチンとくることも。

「私は悩みも寝て起きれば忘れるタイプ。だから自分では平気だと思っていたんですが」と振り返る高橋さん。

しかし、体の声は正直だった。慢性的な頭痛に悩まされ、薬を飲んでも治らない。不調が続いても、病院へ行く時間がなかった。そんななかで二人目の子どもを妊娠。ひどい悪阻に苦しむことになる。何も食べられず、10分ごとに吐き気に襲われてはトイレへ駆け込むほど。それでも部下の同行でお客様の元へと足を運んだ際には笑顔を努めた。

過去の反省を生かした「無理のない働き方」をスタート

一所懸命に業務に取り組みながらも、どんどんと痩せていく姿を心配してか、部下が熱心にサポートしてくれた。

妊娠6カ月ほどで少し悪阻がおさまったので、「今までまわりに迷惑をかけた分がんばらなくちゃ」と根をつめて働いた結果、切迫早産の兆候があって一カ月会社を休むことになってしまう。無事に男児を出産し、育休明けで復帰したのは2017年。長女は小学一年生になり、息子は保育園へ。二人の子育てと向き合うなかで、高橋さんはひそかな覚悟を秘めていた。

「一人目のときは時間管理ができなかったんですね。子どもも帰りが遅く帰るから、早く寝かせられない。料理もちゃんと作りたいけれど、買ってくるお惣菜が多くなる。何とか生活はまわっていたものの、そういう日々がつづくことで自分が精神的にちょっとまいってしまった。だから、もう無理をしないと決めたんです」

以降は、朝7時半に息子を保育園に預けて、夜7時半には退社。そう徹底することで、時間内に仕事をこなそうと思った。

職場へ復帰する際、まず支店長にそのことを伝えた。最初に意思表明して、「この人は夜7時半までしかいられない」と周りに理解してもらうことが大事だと考えたからだ。

「無理なことを最初にできると言ってしまったら、周りにも『高橋さんはできるって言ったから』と当てにされます。例えば、夜8時に帰っている人が、7時に退社すると『何でこんなに早いの?』と思われてしまう。そこから歪みが起きることもあるので、自分にできる範囲内でしっかりやる働き方に変えたんです」

そのために心がけたのは、とにかく仕事を溜めないこと。管理職は部下のマネジメントが業務のメインなので、各自の予定をきちんと把握した上で、こまめに進捗状況を確認するようにした。営業で外出していても、自分から電話して「どう?」と様子を聞き、問題があればすぐに対応する。事前に申請書類が必要になるときは、「私は7時半に帰るから、前日のお昼までに出してね」と、早めに出してもらうようにした。

子育てが教えてくれた「人の気持ち」

それまで自分で全部抱えていた業務も部下に分担するようにした。部下はこまめに報告してくれるようになり、仕事への責任感が増しているのを感じている。高橋さん自身も昔より気持ちに余裕が生まれたようだ。

「今は子どもが2人いるから2倍大変ということはなく、たぶん1.2倍くらい(笑)。今は大変というよりも、試行錯誤含めて全部が楽しいです」

例えば、食事はなるべく土日に作り置きしておけば、家へ帰って10分以内でご飯を食べさせられる。今は保育園に預ける時間を延ばさなくても工夫次第で何とかやれるんじゃないかとあれこれ試している最中だそうだ。

こうして働き方を変えることで、子どもを産んでも働き続ける後輩を応援したいという思いもある。それは限られた時間の中でも自分なりに一所懸命働けば、皆が応援してくれることを実感したからだ。

「自分の人生だから、子どもがいることで我慢することはない。自分らしく仕事をしたいという思いがあるなら、誇りをもって働き続けたらいいんじゃないかと思うのです」

さらに子育てを経験したことで、高橋さんは「以前よりも、人の気持ちがわかるようになった」と苦笑する。独身の頃は人を寄せつけないところがあり、自分は数字だけ出せばいいと個人プレーに走りがちな傾向があった。だが、いざ子育てが始まってみると、自分一人ではどうにもならないことばかりであることを痛感する。周りで支えてくれる仲間の優しさが身に染み、心から感謝した。

子どものあどけない笑顔や励ましの言葉が活力に

だからこそ職場でも部下を育てる立場になったとき、相手を理解しようと努め、その人に応じたサポートを心がけてきた。仕事に対する考え方は人それぞれで、モチベーションも違うということを育児に学んだからである。

「お客さまと関わるうえでも、いろんな人生があるからその方のお考えを受けとめることが大切なのだと、自分も結婚して子どもを持ったことで、前よりもっとわかるようになった気がします」

母としてのまなざしが、子育てにも、仕事にも活かされている。子どもたちと過ごす時間もより楽しめるようになった。

前に「私が病気のとき、家に知らない人が来て預けられたのが本当にイヤだった」とこぼした娘も小学3年生になり、お留守番やお手伝いをしてくれるようになった。今では「ママ、お仕事たくさんあるんだから、がんばらなきゃダメでしょう」と激励を受けることさえある。実は育児と仕事の狭間で追い詰められていたときに、寝かしつけようと一緒にいたら「いつもお仕事がんばってくれて、ありがとう」と突然言ってくれたのも娘。思わず涙が込み上げたと、高橋さんは懐かしむ。そんな子どもたちや部下の頑張りに背を押され、「明日もまたがんばろう!」と思えるのだった。