3児の母としての経験が人事業務に生きている
入社以来、営業の現場に携わってきた本山さんに転機が訪れたのは2005年。第一子の育休を経て本社へ復職、それから2年後に人事部へ異動したのだ。人事には独自のルールがあり、経験の蓄積が活かされるだけに、また新たな学びの日々が始まる。さらに社内でワークライフバランスや女性活躍を打ち出すなか、その推進役も担うことになった。
自身も3児の母として、子育てと仕事の両立に苦労してきた経験がある。職場では女性管理職として従業員の声にも耳を傾けながら、より高い成果をあげるための環境づくりに取り組んでいる。「それは自分自身の課題でもあります。仕事も家庭のこともどちらも重要。1日24時間をうまく区切りをつけながらやっていかなければならない。そんな中で自分も思考する時間をなかなか取れないのが悩み。まさに今、格闘中ですけどね」と苦笑する本山さん。
息子二人と末娘は野球をやっていて、週末も早朝からお弁当作り、試合や練習の当番なども回ってくる。子どもが大きくなると、受験などを控えて母親の務めは増えていく。職場で取り組む仕事もいっそう広がるなか、前向きに乗り越えるコツはあるのだろうか。そう尋ねると、本山さんはある女性の先輩のことを思い出すという。
かつて育休制度も整っていなかった頃、20代で妊娠を機に退職を余儀なくされた先輩がいて、職場を去るときにこう励まされた。「ふじかちゃん、会社はいつでも辞められるから、やれるところまで頑張ってね」と。その言葉がずっと耳に残っている。
「だから、最初はしんどいとか大変だと思うようなことでも、前向きに頑張ってみようという気持ちはすごくありますね。どんなことに直面しても、やってみてダメだったらいつでも辞められる。ならばいろいろやってみようと思えるし、乗り越えられたときの清々しさがあります。そうやって山登りのように、一段上に登るたびに成長を実感し、自信を得ることで、新たに素敵な景色に出会うことができたのです」
職場でさまざまな困難や壁にぶつかったときもあきらめず、真正面から向き合うことで乗り越えてきた本山さん。自分が強くなることで、周りを温かく見守る余裕も育まれてきたのだろう。今も直球で勝負する姿勢は変わらないが、「チームが勝つためなら、カーブもちょっと投げられるようになったかな……」と照れるのだった。
1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。