現場と上司の板挟みに苦しんだことも……

 

入社4年目には、住友商事とアメリカ合衆国の最大手MSOであったテレコミュニケーションズの合弁によって設立した日本最大のケーブルテレビ事業者・ジュピターテレコムの立ち上げと同時に出向する。

アシスタントマネジャーになった本山さんは、営業、マーケティング、CI戦略などを担当。だが、そこでまた人間関係の壁にぶつかってしまう。今度は、出向先の上司とケーブルテレビ会社の現場との板挟みになったのだ。

それまではケーブルテレビ会社への出向者やプロパー社員と良好な関係を築き、加入者増や売り上げ拡大に一丸となって取り組んでいたが、ジュピターテレコム設立後は社風も一変する。米国最大手のケーブルテレビ会社TCIとの合弁で、アメリカ人上司が就任。トップダウンによるジュピターテレコム流のやり方を徹底させる役割を担うことになった。

「とにかくムダを廃して、コストを下げ、統一された営業手法で早期に加入者を獲得するといったやり方は、当初はなかなか現場の人たちの理解を得られませんでした。そのため、間に挟まれた私たちは悪者になってしまうこともあり、『本山さんは人が変わった』『上の言いなりで……』と言われ、悲しい思いをしたこともあります」

ある日、電話口で出向者の人に責められ、いたたまれずに席を立つと、部下の女性が心配して「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた。その時ばかりは目頭が熱くなり、「もっと強くならなきゃ……」と意を決した本山さん。

米国人上司と何度も議論を重ね、日本特有の事情も考慮してもらった結果、「このやり方が業界のためだ!」という直観が確信に変わると、熱意をもって進めていった。すると、立場を超えて、思いを同じくするメンバーが、一つの強いチームとなり、少しずつ結果も出始めた。「上司も最後はすっかり日本ファンになってくれました」と懐かしむ。

積極的なコミュニケーションで現状を打破

その後、本山さんは米国TCIへ出向し、若手人材の育成プログラムに参加。そこでメンターとなる女性社長に師事し、組織のマネジメントについて学んだ。帰国後は米国での経験をベースに成果を出したいと思い、現場の責任者としての出向を志願。99年にジェイコム東京のオペレーション部長に就任し、240人の大所帯を率いることに。立ち上げたばかりのコールセンターの責任者も務めるが、社内のみならず、顧客との関わりに苦戦する日々が待ちうけていた。

「オペレーション部は当時陽が当たりづらい部署だったんです。営業と技術をつなぐ役目も担いますが、当時は2つの部署間で何度かトラブルもあったので関係性が良いとは言えず、お客さまのところで問題があると、両方に関わるクレームがコールセンターに来ていました。センターで対応できないようなクレームも多く、ハードな叱責にオペレーターの女の子が泣いてしまうこともある。私自身も“このクレームから逃げちゃいかん”という思いがあり、『何かあったら私のところへ回してきていいよ。でも、ちゃんと説明すれば大丈夫だから、がんばって』と鼓舞していました」

電話口で怒鳴られることは日常茶飯事で、「女じゃなく、男を出せ!」とすごまれたこともある。やむなく本山さんが自宅へ謝罪に行っても、持参した菓子折りを投げつけられることもあった。そこであえて発案したのが「カスタマーボイス」の取り組みだ。

お客さまのクレームを受けてその場を収めるだけでは会社のためにならないと考え、経営陣にも毎日どんなクレームを受けているかを知ってほしかった。オペレーターに「上にあげた方がいいと思うものを何でもいいから書きなさい」と伝えると、彼女たちは残業もいとわず真剣に取り組んだ。

毎日その束を社長に持って行くと、ちゃんと目を通してもらえ、営業部長や技術部長も読んでくれる。部署どうしのコミュニケーションが円滑になっただけでなく、会社としてOneメッセージを出せるようになり、少しずつクレームも減っていった。本山さんも当時の経験から学ぶことは大きかったと振り返る。

「お客さんの声に耳を傾けることで、消費者の気持ちにふれ、世の中にはいろんな人がいることがわかった。でも当時のハードクレーマーは本当にひどくて。何を言われても、どんなことがあってもくじけない強い心を持てるようになったので、もう怖いものなしです(笑)」