やがて、ただでさえ圧政に耐えかねていたキリシタンたちは蜂起し、大規模な一揆を起こすことになる。それが「天草・島原の乱」だ。
寛永14年(1637)から翌15年(1638)まで続いたこの反乱は、数千人規模の死傷者を生んだといわれる。最終的には幕府側の総攻撃で一揆軍は鎮圧されるが、その後も潜伏キリシタンは社会の中でひそかに信仰を続けることになる。
天草にはそんな禁教下で信仰を継続した人々の痕跡が随所に残っている。たとえば﨑津集落内には十字架をあしらった墓があちこちに見られる。ひときわシンボリックな﨑津教会は、禁教期に絵踏みが行われた場所に立ち、この教会で司祭を務めていたハルブ神父の墓もある。
集落外にも関連史跡は多い。本渡町の明徳寺は島原の乱の後に初めて建てられた禅寺で、仏教を広めることで人々の心を鎮めようとしたもの。参道の石段にかすかに残る十字の彫り物は、絵踏みを狙った造りで、十字架を踏みながら上らなければならない仕組みになっている。
また、町山口川に架かる祇園橋は、島原の乱において一揆軍と唐津藩が激突し、鮮血に染まった現場である。往時の悲しい記憶をかみ締めながら散策してほしい。
日本史に名を残すヒーロー2人のゆかりの地
坂本龍馬もまた、日本の歴史を知るうえで欠かせない人物だろう。江戸時代末期の志士である龍馬は、薩長同盟成立に協力するなど、倒幕と明治維新に多大な影響を及ぼした、歴史上のスターである。
高知県においてはご当地が生んだ最大のヒーローで、太平洋に面した景勝地・桂浜には、その功績をたたえる銅像が立てられている。これは1928年に熱心な龍馬ファンたちの寄付によって造られたもの。大海原に視線を向けて立つその姿からは、龍馬が持つダイナミズムが存分に感じられるはずだ。
龍頭岬と龍王岬の間に弓状に広がる桂浜は、古くから月の名所としてもよく知られている。付近には桂浜水族館もあり、老若男女を問わず楽しむことができるだろう。高知の海の幸と併せて楽しんでほしい。
もうひとつ、日本の歴史に名を残す人物ゆかりのスポットを、東北地方からピックアップしたい。
青森県東北町の「日本中央の碑」は、平安時代に征夷大将軍を2度務めた武官、坂上田村麻呂が遺したとされる石碑である。高さ1.8mほどの自然石で、表面には「日本中央」の文字が見て取れる。
和歌に詳しい人なら「つぼのいしぶみ」という言葉をご存じかもしれない。漢字に直せば「壺の碑」。12世紀末に、歌学者・藤原顕昭が編さんした『袖中抄』によれば、「壺の碑」とは蝦夷征討の途中で、田村麻呂が弓はず(弦をかける部分)を使って巨石に「日本中央」と彫ったものであるという。