「壺の碑」は寂蓮法師や顕昭など多くの歌人の作品で歌枕として用いられ、かの源頼朝までもが、「陸奥のいはでしのぶはえぞしらぬ 書尽してよつぼのいしぶみ」と詠んでいる。いずれの歌でも、行方の知れないもの、はるか遠くにあるものとして扱われ、本当に実在するのかどうかが長く議論されてきた。そんな中、1949年に東北町の赤川上流で、表面に「日本中央」と彫られた巨石が発見されたのだから、世の研究家が色めき立つのも無理はない。

実際には田村麻呂が青森まで到達した記録はなく、しんがんについては今なお論争が続いているが、この地域には田村麻呂が創始したと伝えられる千曳神社も存在。この巨石が展示される「日本中央の碑歴史公園」にはさまざまな資料があるので、自分なりに解釈を巡らせるのもオツだ。

伽藍、観音像、古墳――首都圏近郊の史跡たち

古都・鎌倉のほど近く、真言宗大覚寺派・田谷山定泉寺の境内に、知る人ぞ知る不思議な洞窟がある。

通称、田谷の洞窟。正式名称を「田谷山どう」というこの洞窟は、修行僧によって掘られた伽が藍らん(僧侶たちの修行の場)で、総延長は実に1km余りに及ぶと伝えられている。参拝者は受付で拝観料を納め、受け取ったロウソクの明かりを頼りに暗闇の奥へと進んでいく。少し足を進めたところで、誰もが息をのむに違いない。壁面や天井に彫られた、あまりにも見事な仏像や仏画の数々に――。

ほの暗くせいひつなこの洞窟内には、なんと300以上もの彫刻が施されている。さらに特筆すべきは、この地下空間が3層仕立ての複雑な構造を持ち、下層の通風孔越しに上層の仏画が見られるよう設計されるなど、非常に高度な土木技術が使われていることだ。修行僧たちの苦行の結晶として、誰しも感じ入るものがあるだろう。

千葉県ののこぎりやまには、約1300年前に開山したほんの寺域が広がっている。最大の見どころは、石切場跡の岸壁に彫られた巨大な百尺観音だ。これは戦没者と交通事故犠牲者の供養を目的に彫り込まれたがいぶつで、その名の通り高さが百尺(約30m)もある巨大なもの。トレッキングの途中で、心身を落ち着かせて手を合わせよう。

最後に、今回最も都心に近いスポットが、東京・代官山駅から徒歩5分ほどの街中にある猿楽塚古墳だ。古墳時代後期、6~7世紀に造られた直径約20m、高さ約5mの円墳が、しゃれた店舗が多く並ぶ旧山手通り沿いに存在するというギャップがいかにも面白い。手軽に古代の文化に触れられるスポットだ。