その時々でやるべきことをやるしかないと覚悟
女性総合職2期生として入社、バブル最盛期で激務の新人時代は睡眠時間を削って結果を出した。さらにアメリカ留学でMBAを取得、30代で株式商品企画部門の課長に就任。
「活気がある風通しのいいチームづくりを工夫。新しいことをして結果を出そうとしたのですが、当時は管理職セミナーもなく手探りだったのでマネジメントでは悩みました」
その後、39歳で社長秘書に抜擢。トップの近くで経営を学ぶ。部長に昇進したのはリーマン・ブラザーズのチームが参加した後の2010年だった。
「国籍、性別や年齢など、想像を超えたダイバーシティが突然起こりました。30代の役員もいる多様な人材をマネージする苦労は並大抵ではありませんでした」
経営企画部長の鳥海さんが役員会議の弁当について差配をすると「部長が会議の弁当の心配までするのは理解できない!」と外国人社員に驚かれることもあった。それまでは組織の長はすべてを把握すべきだという風潮があったが、新体制では日本的な組織論が通用しなくなっていた。
「良くも悪くも外圧で社内の環境が大きく変わり、その変化を乗り切った時期でした。意識や熱量が異なる社員を、ひとつのチームとして調整し、まとめるのが管理職の仕事なのだと認識しました」