「売上に貢献できる広報をしたい」未経験のアパレル業界へ

その後はしばらく知人が起業する会社を手伝い、広報の他にネット通販の宣伝からHPの制作まで担当。ゼロから企業を立ち上げる経験をしたことで、より売り上げに貢献できるような広報に努めたいという意識が強くなっていく。そんな工藤さんのもとに舞い込んだのが、またも新たな業界への誘いだった。

転職先を探す中でエージェントに紹介されたのが「DoCLASSE」。40代以上の人をターゲットにしたアパレルブランドと聞くが、実はその会社を知らず、自分では流行のファッションにもほとんど関心がなかったという。

「だから、『実はあまり服には興味がなくて』と断ったんですが、社長さんと絶対合うと思うからと言われ……」と当時を振り返る工藤さん。

創業した林恵子社長はアメリカ留学後、外資系の広告会社、米国大手通販アパレルブランドの日本支社長などを経て、2007年に独立。自宅のガレージを改装し、わずか数人のオペレーターとスタートしたのが「DoCLASSE」だ。日本の40代以上の大人を生き生きと輝かせる服を作りたいというのが創業の理念。社長と面接で会ったときの印象は鮮烈だった。

「林さんは『Good morning.How are you』と入って来られ、パワフルな雰囲気に圧倒されました。服のことはまったく聞かれず、その場で『エアギターをやって!』と言われたり(笑)。そのカリスマ性とパワーに惹かれ、社長の思いを全国の人に届けることが私の使命だと覚悟を決めました」

6年かけて実現した「ガイアの夜明け」

「林さんに出会ったときから、『ガイアの夜明け』に絶対出したい! と思っていたんです」それでも初めてのファッション業界は勝手が違い、2011年末の入社当時は会社の知名度も低かった。ことに男性記者には40代以上の細見えファッションに興味をもってもらえず、苦戦を強いられる。新商品ではニュースにならず、コールセンターでお客さまの代わりに試着代行するサービスや、男性向けの「OYAJI塾」など話題作りにも奮闘。工藤さんにはどうしても実現したい目標があった。

それは現場で奮闘する人たちの姿を描く経済ドキュメンタリー番組。工藤さんはディレクターに懸命にアプローチを続けた。幾度か頓挫しながらも、6年がかりで実現にこぎつける。だが、社長自身はメディアに出ることを一切断っていたため、工藤さんは思いの丈を込めた長い手紙を渡し、どうにか決意してもらう。収録期間中は何かあった場合にもすぐに対応ができるよう、24時間体制で力を尽くし緊張しながら番組の放映を待ちかまえた。

「放送が終わった瞬間、社長から『ありがとう』と電話があって……」と、工藤さんは今も目を潤ませる。その翌日、新宿アルタの新店舗には行列ができ、放映されたコートは15万枚以上売れる大ヒット商品になった。

こうしてアパレル業界で過ごした7年半、愛情あふれる林社長の下でびしびし鍛えられ、自分も成長できたと顧みる工藤さん。持ち前のチャレンジ精神でまた先の舞台へと向かっていくことになる――。

歌代 幸子(うたしろ・ゆきこ)
ノンフィクションライター

1964年新潟県生まれ。学習院大学卒業後、出版社の編集者を経て、ノンフィクションライターに。スポーツ、人物ルポルタ―ジュ、事件取材など幅広く執筆活動を行っている。著書に、『音羽「お受験」殺人』、『精子提供―父親を知らない子どもたち』、『一冊の本をあなたに―3・11絵本プロジェクトいわての物語』、『慶應幼稚舎の流儀』、『100歳の秘訣』、『鏡の中のいわさきちひろ』など。