エアギターの世界大会に出場して新商品を広報
2006年4月に入社すると、まずは営業で鍛えられ、1年目の秋には広報に配属される。
「あの頃、直属の女性の上司に言われたのは、『工藤がした失敗なんて会社には影響しないから、あなたがやりたいようにやりなさい。何かあったら、私が全部責任をとるから』と。その言葉がすごく心に響いたんです」
工藤さんは持ち前のチャレンジ精神を発揮していく。リカちゃん人形が23歳だったら……という設定で、自ら等身大「リカちゃん」に扮装し、いろんなところへ取材に行ってはブログを執筆。さらに話題を巻き起こしたのが、「エアギター」に挑戦したことだ。
ギターのおもちゃの新商品を宣伝するため、会社命令でエアギターの大会に出場。2年目にはオリジナル曲で練習に励んだものの、決勝で敗退。「もう無理!」と思いながらも応援してくれた仲間のために3度目に挑み、優勝して世界大会出場を果たした。「日本で初の女性チャンピオンの正体はタカラトミーの広報社員」とメディアで注目され、韓国や中国でのステージもこなす。ギターのおもちゃは国内外で30万個を超える受注につながった。
自ら広告塔となって奮闘したタカラトミー時代。大企業で商品広報から企業広報まで経験するなかで、工藤さんは何の不満もなく仕事をこなしていたが、5年目には転職を決意。さすがに周りもあぜんとしたらしい。
「会社の上司は、工藤はこんなに楽しんでいるのに何で辞めるのかとポカンとしていたようで(笑)。でも、私は自分が表に出るより、社内のいろんな人に取材を受けてもらい、その人が輝く姿を見るのが楽しくなったんです。こういう人が作っているんだと、もっと現場の人に焦点を当てるような広報をしたいという気持ちに変わっていき、他の業界で仕事をしてみたいと思うようになったんです」
ベンチャーに転職して知った“攻める広報”
次の業界を考えたとき、「食」に関わりたいという思いがあった。自分が育った家庭で何より大事にしてきたからだ。報道の制作に携わる父はほとんど家にいなかったが、週末の朝は自ら朝食を作り、休日の食事を家族と楽しむことを欠かさなかった。専業主婦の母は毎日違うお菓子を作って待っていてくれ、手料理を通して惜しみない愛情を注がれた。
そんな幼少の経験から「食」にこだわった工藤さんは、たまたま出会ったすてきなスイーツのブランドに応募。エンターテインメント性に富んだケーキを販売する会社で、夢ある仕事に惹かれて広報を志望したが、思いがけない落とし穴に気づくことになった。
「大手で広報していたときは黙っていても取材依頼が来たけれど、転職先ではほとんどの方が会社を知らない状況からのスタートでした。いざ広報を立ち上げても取材に来てもらえるわけではないし、お付き合いのあった方々にご挨拶しても担当が違うからと言われ、そもそも大手を相手にするメディアでは中小企業のスイーツを扱ってもらえなくて。だったらこちらから行くしかないと、グルメ番組などを洗い出し、全国のテレビ局に電話をしていました」
入社から3カ月、ようやく芽が出始めたところで、さらなる試練に見舞われた。2011年3月に東日本大震災が起きて、パーティーケーキはまったく売れなくなってしまう。急激な売り上げ低下によって、社員は給料半減か解雇という選択を迫られたのだ。
工藤さんもやむなく辞めることを決断。その夜、家に帰ると、お風呂の中でわんわん声をあげて泣いたというが、あとはスッキリ。いつまでもへこんではいなかった。
「それまでいかに大企業で守られてきたのか、毎月給料をもらえることも当たり前じゃないということに気づかされた。ベンチャー企業に転職するからには、いつ何があるかわからないということも覚悟のうえで行かなければいけないということも身に染みましたね」