そうした日々の中で唯一のよりどころがお稽古事。どんなことも役者として無駄になることはないと思い、バレエ、水泳、エレクトーン、バイオリン、書道、日舞、乗馬、ダンス……と、少しでも自分で努力できることをしたかった。たぶん人生でいちばん忙しかったですね(笑)。

母によく言われたのは、「いつも笑っていなさい」

(写真上)生後間もない頃。母の愛情あふれる幸福な一枚。(写真下)2歳頃の夏。母・野際陽子さんと流しそうめんを体験。

高校を卒業したら、自分のやりたいことに全力で挑戦したいと、私はその日を待ちわびました。母の勧めもあり大学へ進むと、ようやく芸能活動を許されました。念願の女優デビューを果たすと、母にいろいろ相談したり、アドバイスを受けたりするようになりました。

母によく言われたのは、「いつも笑っていなさい」という言葉。機嫌が悪かったり、気に入らないことがあってふてくされていると、「そういう顔になっちゃうのよ」と母は言います。さらに思春期になってからは「輝いていなさい」と。私が友人関係で悩んだときも、「相手がどう思っていようが、自分が輝いてさえいれば人は引きつけられてくるものだから」と励まされました。

それは役者になってからも母に何度も言われてきた言葉で、私も大事にしてきました。人として、女性として、素敵な人間にならなければいけないということ。生涯をかけて努めるべき目標になっていますね。

大人になるにつれ、母を見る目も変わり、母の生き方を知るほどに、男っぽい女性だなと感じました。たぶん若い頃は結婚なんかしなくていい、1人で生きていくと思っていたでしょう。本当に自立した人なので、誰かに頼って生きるとか、男性に甘えるということも苦手なタイプだと思う。そんな面も“カッコイイ”と見られる理由なのかもしれません。

本来そういう生き方が向いている人だから、21年間の結婚生活は大変だったのだと思います。母は気遣いが細やかなので、自分を抑えて我慢することも多かったはず。父と母は俳優としての方向性や生き方に食い違いもあったようです。両親が離婚したのは私が大学1年生、女優としてデビューしたばかりの頃でした。

母は子育てから解放され、役者の仕事も充実していました。TVドラマ「ずっとあなたが好きだった」(※1)で演じた“冬彦ママ”で大ブレイク。「ダブル・キッチン」(※2)「長男の嫁」(※3)などヒット作が続き、多忙を極めましたが、毎日楽しそうでした。

※1 1992年放映(TBS系列) ※2 1993年放映(TBS系列) ※3 1994年放映(TBS系列)

私も同じマンションの別の部屋へ移ったので、母は1人の時間を過ごすことが多くなりました。お酒が好きで、ワインなどを味わいながら夕食を楽しんだり、いろんな人を招いてバーベキューをしたり。いつのまにか母専用のビールサーバーが庭に置かれるようになりました(笑)。