気持ちを訴えたあの日。抱きしめ合って泣いた2人

一方、私は役者になるという夢を実現させたものの、いつも悩み苦しんでいました。自分にできることは精一杯やっているつもりでも、やはり不安はつきまとい、それを母に漏らしても「ネガティブなことを言っていないで、しっかりしなさい」とはね返されてしまう。だから母の前ではずっと素直になれなかったのです。その鬱憤(うっぷん)がだんだんたまり、ついにあふれ出たのは30歳を過ぎたある日のことでした。

(写真上)3歳の頃。家族で沖縄に旅行。母娘でビキニスタイルでのワンショットは、思い出深い一枚。(写真下)中学2年生の頃。バレエのレッスンの帰りに、母とレストランで。予定が合えば母は習い事にも熱心に付き添った。

母に訴えたい言葉を一気にぶちまけました。私はただ話を聞いてほしかっただけなのだと。そして、「抱きしめてほしかった」と、泣きながら訴えたのです。母は絶句してしばらく話を聞いていましたが、やがて自分も泣き始め、私をきつく抱きしめてくれた。何時間もかけて、お互いの気持ちを受けとめ合いました。

その日を境に、私は母に何でも話せるようになり母もすっかり変わりました。もともと甘えん坊だった私は子どもに返ったように、母のベッドに潜りこんだり、「しんどいよ」と抱きついてみたり。甘え放題だったので、なおのこと闘病する母を見守る日々はつらいものでした。

初期の肺腺がんと告知されたのは2014年秋。医師には手術をすれば大丈夫と言われ、抗がん剤もとてもよく効き、小康状態が続いていました。けれども再び肺に怪しい影が見つかり、病状は進行していきます。それでも母は仕事を休まず、最後の作品になったドラマ「やすらぎの郷(さと)」(※4)の撮影を終えた後に入院。1カ月余りで他界しました。

※4 2017年放映(テレビ朝日系列)

母から教えられたことはたくさんありますが、いちばん見習いたいのは、どんなにしんどいことがあってもユーモアに変えられるところ。母は決して楽観的ではなく、真面目なのですが、何かつらいことがあってもこう考えればいいという転換の仕方が上手な人でした。私は細かいことを気にしがちなので、母のように前向きに捉えて楽しく生きていけたらいいなと思う。それはまさに母の背中に教えられたことなのです。

真瀬樹里(まなせ・じゅり)
女優
1975年、東京都出身。共に俳優の両親のもとに長女として誕生。94年、映画『シュート!』で役者デビュー以来、テレビドラマ・映画・舞台などで活躍。2003年、クエンティン・タランティーノ監督の映画『キル・ビルVOL.1』に出演。現在はテレビのバラエティー番組にも出演し、多方面で活躍中。18年5月、母の1周忌を前に『母、野際陽子 81年のシナリオ』(朝日新聞出版)を出版。

構成=歌代幸子 撮影=田子芙蓉