“いつも笑顔でいなさい。いつも輝いていなさい。不機嫌な顔をしていると、そういう顔になっちゃうのよ”

女優の「野際陽子」は、知的でクールでカッコイイ、というイメージが強かったようです。確かに、母は勉強熱心で考え方も個性的だったと思いますが、ただクールかといえば、「えっ、どこが?」という感じ。おっちょこちょいで“天然”なところもあって、人を笑わせることが大好きでした。人前で話すときは笑いをとらずにはいられない。自宅でくつろいでいても、テレビを観ながら突然ものまねを始めたり。娘の私からすれば、とにかく面白い人でした。

1968~73年放映の超人気TVドラマ「キイハンター」(TBS系列)出演時の野際陽子さん。トレンディでハイセンスなファッションも話題に。同番組で共演した俳優、千葉真一さんと73年に結婚。75年に一人娘、樹里さんが誕生した。

もっとも子どもの頃はひたすら怖くて、厳しい母親でした。身の回りのしつけはもとより、最も厳しく言われたのは勉強。テストの点数が悪かったり、何度も同じ間違いをしたりすると怒鳴られ、手も飛んでくる。ものすごい教育ママだったのです。

母自身、幼い頃からピアノへの憧れがあったようで、習い事には熱心でした。4歳からピアノを習い始め、家では母が横に張りついていて、何時間も稽古させられました。私はピアニストになりたいわけじゃないのに、何でこんなに叱られなきゃいけないの……とイヤでたまらない。それでも必死で練習していました。

怒らせれば“怖いママ”でも、母の愛を疑うようなことはありませんでした。幼いときはよく「かわいい、かわいい、私の樹里ちゃん」と抱きしめられ、「ママの宝物はだれ?」としきりに聞かれたものです。

そんな母の愛情は絶対的なもの。私がどれだけ愛されているのか、いつも痛感していました。時には反発もしたけれど、どんなことがあっても、母の愛情だけは信じられるという思いが常にあり、自分の支えになっていたような気がします。

母に反対され続けても抱き続けた、役者への夢

誰しも思春期の反抗はあると思いますが、私の場合は芸能活動をめぐる意見の食い違いが大きかったですね。役者になろうと決めたのは5歳のとき。きっかけは父の舞台でした。ちょうど同じ年頃の女の子役があったので、「舞台に出ないか」と誘われたのです。私は「やりたい」と答えたけれど、幼稚園では芸能活動が禁止されていたので母に反対されました。結局、ほかの子が出ることになり悔しい思いをしたので、絶対に役者になると決意したのです。

ところが、高校を卒業するまでは芸能活動を認めない、というのが母の方針。ともかく高校を出るまでは普通の生活を送るべきだと娘に言い聞かせ、納得させようとします。「役者は人の人生を演じるものだから、それが糧になる」とも言われました。母としては、せめて少女の間は普通の生活を楽しませたかったのかもしれません。けれど、私は自分が心からやりたいと思ったことを抑えつけられ、純粋に学生生活を楽しむこともできず……一日も早く芝居の世界に飛び込みたくて、どれだけ母に訴えたことか。母への不満もつのり、中学、高校の頃は毎日のように親子で言い争っていました。