「幼稚舎上がりの生徒の態度が鼻持ちならないという声もある」

前述したが、幼稚舎は6年の間、クラス替えが一度もなく、1クラス36人(この三田会役員の時代は44人)の顔ぶれはずっと一緒である。親しさの度合いがまるで違うのだ。しかも、担任教師も6年間ずっと同じで、生徒の一人ひとりの性格をよく把握し、クラスは他校では考えられないくらい、まとまっている。ただ、“外部”からすると、幼稚舎から上がってきた生徒の態度が鼻持ちならないという声もある。

「自分たちが慶應を代表しているという意識が非常に強くて、声をかけてもらえないだけではなく、僕らを見下している感さえある。あちらは上流階級で、こちらは一般庶民という感じ。世が世なら、同じ場所にいることもありえないといった雰囲気を醸し出しているんです」

田中幾太郎『慶應幼稚舎の秘密』(ベスト新書)

前出の中等部OBはこう振り返るが、それはさすがに言いすぎと、連合三田会役員は否定的な見方をする。

「たしかに幼稚舎に裕福な家庭の子弟が多いのは事実ですが、中学から入ってくる生徒も家庭が裕福な子がけっこういる。ただ、幼稚舎の場合、とんでもなく金持ちという生徒が混じるので、そのイメージが強いんだと思います。そもそも、そうした裕福さを鼻にかけるような子どもは幼稚舎に合格できないと思うし、実際、素直な生徒が多い。普通部、中等部、塾高などから入ってきた生徒を外部と呼ぶのは本当ですが、見下しているわけではありません」

ただし、幼稚舎OB・OGが見下し、疎外している学校がひとつだけある。横浜初等部である。

「幼稚舎と並ぶ」に腹を立てるOB・OG

「第二幼稚舎を創るという意図で、横浜初等部ができたのですが、はっきり言ってしまえば、慶應義塾の経営的な意味合いが強い。1874年に創立された幼稚舎は、慶應にとって唯一無二の存在。第二幼稚舎という発想自体がどうかしている。幼稚舎が圧倒的なステータスを持っているので、第二の幼稚舎を創れば、十分、経営は成り立つと踏んだのでしょうが、横浜初等部は幼稚舎に似て非なるもの。幼稚舎OB・OGの多くが怒り心頭なんです」(前出・幼稚舎OBの連合三田会役員)

2013年に開校した横浜初等部の設置計画が浮上したのは2005年。慶應義塾の「創立150年記念事業計画」で、設置への提言が盛り込まれたのだ。当時、慶應義塾の塾長を務めていたのは、安西祐一郎氏である。

「塾長3期目を狙う安西さんとしては、目に見える功績がほしかったんです。でも、自身も幼稚舎の出身。にもかかわらず、そのブランド価値に傷をつけるような行動に打って出たことで、本来仲間であるはずの幼稚舎OB・OGたちから顰蹙を買う結果となり、塾長選挙も散々な結果に終わったんです」