仕事も家事も完璧を目指して頑張りすぎた
結婚して仕事も家事も完璧を目指していた20代後半、異動先の広報宣伝課で係長に昇進した後の30代後半など、いずれも、つい頑張りすぎてしまう性格が疲労を招き、自信もモチベーションも大きく低下してしまった。あのとき、もしそのまま退職していたら今のキャリアはなかっただろう。宮越さんは「周りの人の支えで乗り越えられた」と振り返る。
よき相談相手である夫の「君には明るく元気でいてほしいから頑張りすぎないで」という言葉で楽になり、できないときは家事を手抜きしてもいいんだと思えるようになった。また、相談した上司は思いを受け止めて誠実に対応してくれた。それまでとはまったく違う広報という仕事にやりがいを感じてはいたものの、猛烈に忙しい日々。係長に昇進したときも、嬉しさより大変だという気持ちが先に立った。
「広告やPR、イベントと幅広い領域を任され、早く一人前にならなきゃと必死で頑張っていた時期です。大変な思いもしましたが、メディアやデザイン関係など未知の業界の方々と一緒にお仕事できて、毎日が刺激的でした。私って意外と人と話すのが好きかも? と気づいたのも、この仕事を通してですね。視野を広げるきっかけにもなったので、辞めなくてよかったです」
ホテルのリブランドを課長として牽引
何度かの「辞めたい」を乗り越え、39歳で小田急グループホテルを統括する小田急ホテルズ&リゾーツに出向。営業推進・広報宣伝担当として小田急グループが運営するホテル全体を見る立場になり、グループ内の人脈も広がっていく。そして4年後、ホテル小田急に復職。40代に入って課長に昇進し、意欲も実力も大きく高まっていた。
復職したのは2006年7月。当時「センチュリー ハイアット 東京」は新しいスパ施設「ジュール」をオープンさせたばかりで、9月にはフレンチレストラン「キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ」の開店、翌2007年10月には「ハイアット リージェンシー 東京」へのリブランドを控えていた。宮越さんはマーケティング部門の課長として迎えられ、この大プロジェクトに全力で取り組んだ。
「リブランドに伴うブランディングをはじめ、印刷物の打ち合わせやイベントの段取りなど、忙しかったけれど充実した時間でした。裁量権を持って進められたのでやりがいも大きかったですし、何より新しいことに挑戦できるのが楽しかった。ただ、時間との戦いや失敗できないというプレッシャーで、精神的にいっぱいいっぱいになってしまったときがあって……」