ホテル小田急初の女性役員で、同社が運営する「ハイアット リージェンシー 東京」で宿泊部長を務める宮越真理子さんは、バリキャリの厳しさをまったく感じさせない柔らかで余裕ある物腰のホテルウーマン。しかし20代は猛烈に働いて入院を経験し、その後も何度か退職寸前に追い込まれたのだという――。

ホテルの原点「宿泊部」、現場に立つ喜び

新宿新都心にそびえ立つ5つ星ホテル「ハイアット リージェンシー 東京」。日本初のハイアットホテルとして開業して以来、温かくきめ細かなもてなしで国内外から高く評価され続けている。宮越さんは現在、このホテルの中核を担う宿泊部を統括。ホテルウーマンとしてのキャリアはフロント課での予約業務からスタートしたが、その後はずっと広報やマーケティングといった後方支援の部署で働いてきたため、宿泊部のような「現場」への復帰は約25年ぶりだという。

ホテル小田急 ハイアット リージェンシー 東京 取締役宿泊部長 宮越真理子さん

「ホテルの原点はやはり現場。お客様のお顔や接客するスタッフを間近で見て、その雰囲気を肌で感じられるのがとても楽しいですね。今どんなお客様がお越しになっているか、お客様はどんな商品を求めていらっしゃるか、また、ホテルにとって一番大切な『人』、つまりスタッフがイキイキと働いているかなども現場にいるとよくわかります。彼らが力を発揮できる環境をつくるのも私の大事な仕事ですし、何よりやりがいを持って働いている姿を見ると“母”のような気持ちで嬉しくなります(笑)」

宿泊部長に就任した翌年、取締役に昇進。会社の戦略決定にも携わるようになった今、管理職時代よりさらに従業員を気にかけるようになった。「彼ら彼女たちの生活にも関わるので、より間違いのない決定を下せるようにならなくては」と、日々勉強を続けている。これまでもかなりの努力を重ねてきたに違いないが、その口調に“バリキャリ”の厳しさはない。柔らかな物腰が印象的で、部下からも優しくおおらかな人物と評判だ。

20代半ば「もうダメかも」と思ったことも

入社以来、ホテル業一筋でキャリアを築いてきたが、この業界に入ったのは「たまたま」だそう。大学受験で上京した際、たまたま宿泊した「ホテル センチュリー ハイアット(現ハイアット リージェンシー 東京)」が好印象だったため、就活時に何となく採用試験を受けてみたのだという。ホテル業界で受けたのはここだけだったが、他に志望していた企業に先駆けて内定が決まり、これも縁だと思って入社を決めた。

入社後は、宿泊予約を受け付ける宿泊部フロント課フロントリザベーションに配属。当時はまだインターネットがなく、電話やテレックス、ファックスなどで来る予約を一つ一つ手書きで処理していた。仕事に忙殺される日が続き、疲れと将来のキャリアが見えない不安とで、宮越さんはとうとう体調を崩して入院してしまう。1週間ほどで退院したものの、「もうダメかも」と思い辞職を申し出た。

「20代半ばだったと思います。でも、そのときの上司がとてもいい方で、私の話をじっくり聞いてくれたんですね。悩みを全部話せたおかげで気持ちがスッキリして、もう少し頑張ってみようという気持ちになれました。ただ、その後も何度か、辞めたいと思ったことがあります」

仕事も家事も完璧を目指して頑張りすぎた

結婚して仕事も家事も完璧を目指していた20代後半、異動先の広報宣伝課で係長に昇進した後の30代後半など、いずれも、つい頑張りすぎてしまう性格が疲労を招き、自信もモチベーションも大きく低下してしまった。あのとき、もしそのまま退職していたら今のキャリアはなかっただろう。宮越さんは「周りの人の支えで乗り越えられた」と振り返る。

よき相談相手である夫の「君には明るく元気でいてほしいから頑張りすぎないで」という言葉で楽になり、できないときは家事を手抜きしてもいいんだと思えるようになった。また、相談した上司は思いを受け止めて誠実に対応してくれた。それまでとはまったく違う広報という仕事にやりがいを感じてはいたものの、猛烈に忙しい日々。係長に昇進したときも、嬉しさより大変だという気持ちが先に立った。

「広告やPR、イベントと幅広い領域を任され、早く一人前にならなきゃと必死で頑張っていた時期です。大変な思いもしましたが、メディアやデザイン関係など未知の業界の方々と一緒にお仕事できて、毎日が刺激的でした。私って意外と人と話すのが好きかも? と気づいたのも、この仕事を通してですね。視野を広げるきっかけにもなったので、辞めなくてよかったです」

ホテルのリブランドを課長として牽引

何度かの「辞めたい」を乗り越え、39歳で小田急グループホテルを統括する小田急ホテルズ&リゾーツに出向。営業推進・広報宣伝担当として小田急グループが運営するホテル全体を見る立場になり、グループ内の人脈も広がっていく。そして4年後、ホテル小田急に復職。40代に入って課長に昇進し、意欲も実力も大きく高まっていた。

復職したのは2006年7月。当時「センチュリー ハイアット 東京」は新しいスパ施設「ジュール」をオープンさせたばかりで、9月にはフレンチレストラン「キュイジーヌ[s] ミッシェル・トロワグロ」の開店、翌2007年10月には「ハイアット リージェンシー 東京」へのリブランドを控えていた。宮越さんはマーケティング部門の課長として迎えられ、この大プロジェクトに全力で取り組んだ。

「リブランドに伴うブランディングをはじめ、印刷物の打ち合わせやイベントの段取りなど、忙しかったけれど充実した時間でした。裁量権を持って進められたのでやりがいも大きかったですし、何より新しいことに挑戦できるのが楽しかった。ただ、時間との戦いや失敗できないというプレッシャーで、精神的にいっぱいいっぱいになってしまったときがあって……」

張り詰めていた気持ちがプツンと切れた瞬間

上司から厳しい指摘を受け、思わず涙がこぼれた。原因は、上司やこのために来日した外国人グラフィックデザイナーを交えてミーティングした際、予想外に時間がかかってしまったこと。ミーティング後、ホテルのロビーでその上司から「君の段取りが悪い」と注意されたのだ。頑張りに頑張りを重ねてきたせいか、その言葉がとどめになって張り詰めた気持ちがプツンと切れてしまった。「泣いちゃいけない」と思いながら、ロビーの片隅で思わず涙が出たという。

自分ではしっかり段取りをしたつもりだったから、余計に悲しかったのかもしれない。ただ、宮越さんは立ち直りも早かった。負けず嫌いな性格が幸いして、「次こそちゃんと段取りしてみせるぞ」とすぐに気持ちを切り替えた。この出来事をバネに変え、リブランドは無事成功。翌年、部長に昇進した。

自分で決めて自分で動ける課長とは違い、部長は一歩引いて部署全体を見る立場。部下が動きやすい環境づくりや会社の方針を話し合う時間が増え、そのぶん責任の重さも実感するようになった。自分の役割は「お客様はもちろんスタッフもベストの状態でいられるよう、しっかりケアすること」。この思いを胸に約6年マーケティング部門の部長を務め、宿泊部長、取締役へとステップアップしていった。

ポジションが人を育てることもある

「取締役の話をいただいたときは、嬉しさより私でいいんでしょうかと恐縮する気持ちのほうが大きかったですね。でも、せっかく機会を与えていただいたわけですから、躊躇するのではなくチャレンジしてみるべきだと思いました。まだまだ勉強も足りませんし成長の途中ではありますが、後に続く女性にとって、また、私と同じホテル生え抜きの後輩にとって、少しでも励みになれば嬉しいですね」

今は自信がなくても、わからないことは「教えてもらおう」という謙虚な気持ちで周囲にアドバイスを求めながら成長していけばいい。勇気を持って一歩踏み出せば、これまでは開けられなかった扉が開くようになるはずだから──。いつか同じ岐路に立ったなら、宮越さんのこの言葉を思い出してみてほしい。

「私は、ポジションが人を育てることもあると思っています。読者の皆さんにも、異動や昇進を成長の機会と捉え、与えられた評価を信じてぜひ挑戦していただきたいです。失敗してもあまり深刻に考えすぎないこと、いつも笑顔でいること、そうすると、また次の新しい扉が必ず開き、可能性が広がります」

役員の素顔に迫るQ&A

Q 好きな言葉
日日是好日(にちにちこれこうじつ)
「昨日や明日のことで悩むのではなく『今』を大切にしたいという意味で捉えています」

Q 趣味
古楽演奏会、スポーツ観戦、旅行

Q 愛読書
エッセイ『旅をする木』、写真集『星野道夫の仕事』
星野道夫

▼Favorite Item

ノート
「気に入ったデザインのものを集めています。仕事ではスケジュール管理用と日誌用の2冊を使用」

 
宮越 真理子(みやこし・まりこ)
ホテル小田急 ハイアット リージェンシー 東京 取締役宿泊部長
上智大学文学部卒業。1985年ホテル小田急入社。宿泊部フロント課、営業企画部広報宣伝課などを経て小田急ホテルズ&リゾーツ出向。2006年にホテル小田急に復職し、「センチュリー ハイアット 東京」から「ハイアット リージェンシー 東京」へのリブランドに携わる。2018年、取締役に就任。
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