最初の販売店舗は「アローズ」だった
包帯パンツを初めて売っていただいたのは、天下のユナイテッドアローズです。「いきなりアローズかいな!」「なんや、恵まれとるやないか!」
いえいえ、そんなことはありません。ほっそい、ほっそいつながりを手繰りに手繰り寄せ、何とか販売にこぎつけたというのが実情です。その経緯は拙著『日本の小さなパンツ屋が世界の一流に愛される理由(ワケ)』(あさ出版刊)に書いてありますので、ご興味のある方はそちらをご覧いただければ幸いです。
とにもかくにも包帯パンツをユナイテッドアローズの重松理社長(現・名誉会長)に認めてもらったのが、2007年の6月。社長自ら電卓をはじき、オーダーしてくれたのは300枚でした。
それまでの私は父親の仕事(ユニオン野木)を企画営業として手伝い、ワコールやグンゼなどの大手メーカーから数万枚もの下着を受注していました。それに比べると300枚はあまりに少ない。受注はもちろんありがたいのですが、正直それではご飯を食べていけません。
たまらず重松社長に「私は包帯パンツに賭けて会社を立ち上げました。社員も2人雇っています。何とかなりませんか……」と泣きついたところ、それじゃあと再考してもらった数字が900枚。3倍には増えましたが、これでも食べていけません。
パンツ50枚からの勝負
重松社長が言うには、これ以上は無理。これでも1年分の数字だとのこと。そこで紹介してもらったのが、新宿伊勢丹でした。
重松社長は「俺の名前を出して、アローズで採用されたと言っていいから、伊勢丹を攻めなさい」と言ってくれたのです。
早速、大きな期待を抱いて新宿伊勢丹に行きました。しかし、そんな私を待っていたのは、もっときつい「オーダー50枚」。しかも、ぜんぜんと言っていいほど売れませんでした。強烈にやばい状態です。もちろん私の給料なんて出ません。
私は焦り、イトーヨーカドーやイオンなど大型スーパーから、ナイキ、キャロウェイなどのメーカーまで、電話しまくり、訪問しまくりました。「こんにちは~」と行っては断られ、また行っては、断られ……。今思えば、それはまるでピンポンダッシュのような毎日でした。
ただ、そんな中でもひとつだけ決めていたことがあります。ユナイテッドアローズと百貨店の伊勢丹にだけは仁義を通し、浮気はしないと心に決めたのです。
要は、アローズの競合となる別のセレクトショップや伊勢丹の競合店となる別の百貨店には、この2社で結果が出るまでは提案に行かない。それが私の中の掟でした。