ケンジさんは97年に筑波大の農学部に進学。卒業後、就職は考えず大学院の修士課程に進み北朝鮮の政治史を学んだ。修士を修了したものの、やりたい仕事もなくフリーターをしていたところに、大学の教授の紹介で、韓国に進出した日本企業の契約社員として韓国に渡った。

給与は日本円で月30万円ほど。住宅手当も支給されたので、2年の契約期間を終えるころには、貯金は600万円近くにまで膨れ上がった。

帰国後の06年に筑波大学大学院の博士課程に編入した。けれど勉強への意欲がなくなり、退学を決意。筑波のハローワークに行き、韓国語を生かせる知的な仕事だと思い、今の仕事を見つけた。

「あのころは貯金もあり、お金に執着していなかったから、待遇はそれほど気にならなかった。でも、貯金が減っていくのは思っていた以上にショックですね」

年間のボーナスは1カ月分にも満たない。月額6万5000円の家賃と光熱費などを払うと余裕はない。就職したときに80万円ほどあった貯金は、半分以下に減った。今も毎月、着実に貯金残高は減っているという。

2月、校了前の最も忙しいときにケンジさんは風邪を引き、咳が止まらなくなった。なんとか切り抜けたが、“低い”位置で生活している自分が惨めになった。

「こーやって、差がついていくんだな」

だが、高学歴と語学スキルを武器に大企業に就職する考えはないという。契約社員として韓国で働いていたときに、大企業特有の陰湿な人間関係に悩まされたからだ。50代の上司から、無視されるなどの執拗な嫌がらせを受けたのだという。食欲はなくなり体重が減り、休日は布団から起き上がれなくなった――。それと比べれば、今の職場は人間関係のストレスがないので、居心地がいい。だけど、とケンジさんは頭を抱える。

「おれ、この先どうなるんだろう」